色で遊ぶ

Posted by sachi on 4 月 21st, 2008 filed in 雑記

昔、狼への愛だけが山盛りあって、技術もなにもなかったころ。
カレンダーオオカミを見ながら、素人なりの理屈を脳内で捏ね回し、自分なりにリアリティを目指して色鉛筆で描いた絵。
今思うと、デッサンこそまだまだだけどすごく自由な発想で色を選んでいて。
いったい自分はいつからその面白さを忘れてしまったんだろう。

色鉛筆画と写真の比較

その面白さを思い出させてくれたのがこの子。
リハビリを兼ねて葉書サイズの色鉛筆画を描くにあたり、うんと色で遊べそうな白黒の仔猫をモチーフに選びました。(写真は知り合いから譲り受けたもの)
その際に設けた制約が「黒を使わない」こと。(絵を描く人には当たり前っちゃ当たり前なんだろうけど…普段バンバン使っていたので)
結構とんでもない色を混ぜて重ね合わせて黒っぽい色を作っていくんですが、なんとこれが面白い!

どれだけ色で遊べるか。
なんだ、絵って自由で面白いんじゃないか。

長年リアリティと絵の独創性の狭間で、自分の作風のありように思い悩んでいたのが嘘みたいに、ただ純粋に楽しめたんですよ。

そうなるとふっと肩の力が抜けて、ようやっと「芸術」のしっぽを見た気がしました。

子供の落書きのような絵を描くピカソが実は卓越したデッサン力の持ち主であり、基礎をしっかり固めた人が、あえて感性を突き詰めて崩すとき、それは意味があるっていう。

ずっと言葉では知っていたし、理性ではわかっていたけど、どうにも感覚で掴めなかったんですよね。
別にこの猫の絵は芸術でもなんでもないですが、いい加減リアルさの呪縛から自由になってもいいんじゃないかと思ったわけです。

ただ思うに、優れたリアル肖像画はやはり違います。
そもそも写真と絵を比較することそのものが筋違いなんですが、写真を極めるとより詩的で絵画的になり、絵画で写実を極めると写真を超えた迫力で迫る。
だからとことん崩して、芸術を極め、行くところまで行ったピカソはああなっちゃんだろうなぁ……と。

芸術としての写真、生態写真、撮影者の意図によって写真の表現は多岐にわたり。
そして、リアルな動物画=単純な写真の模写だとも限りません。
例えば植物を細部まで徹底的にリアルに描いたボタニカルアートがあります。これは逆に、写真では撮れない映像だそうです。
真にアニマルアートと呼べる動物画は、奥深い知識と徹底的な観察と積み重ねたデッサンに基づくもの。写真はあくまでそのための手助けにすぎない。

アイタタ。
首絞めまくりです。
はい、所詮自分は他力本願動物描き。アーティストだなんて名乗る気も更々ございません。むしろ、リアル動物画に関しては「職人」だと思ってます。

んー、でもなぁ。
そんな贅沢が許される人間って、ほんの一握りですよ。
例えば動物園に入り浸って毎日オオカミをスケッチしたりとか。

そこんところ突き詰めてしまうと、野生動物を描く資格がないってことになってしまう。
もっとも、大昔に言われたことなんですけどね。「わざわざ身近にいない狼を描かなくても、もっと身近な犬や猫を描けば」って。

己の立場をわきまえた上での結論。
やはり狼画は趣味程度に留めておくべき。

そして趣味として描くなら、これはやっぱり楽しいです。
フェチズムを満足させる行為というか、瞳や毛皮の美しさに悶えつつ、それをいかに表現するか模索する。
萌えってヤツですよ。
獣萌え。
動物保護だとか狼の実像の素晴らしさを伝えるだとか表現のありようの模索であるとか。そんな崇高な目的も建前もしがらみも、いっさいがっさいかなぐり捨てて原点に立ち返るならば。

ただ、純粋な「好き」がある。

それが好きだから描く。
そこに萌えがあるから描く。

好きこそものの上手なれ。
狼好きが高じて(?)、ペットの肖像画描きになった。
アート云々は別にして、まあ、そんなこともあるってこと。


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