2月28日の夜。独り暮らしのマンションに高校時代の友人5人がやってきた。
昼過ぎに今日の飲み会が自分のマンションで開くことになったと連絡がきた。
「そんなバカな!?」
正直そう思った。友人5人はお台場ジョイポリスで遊んでいるらしく、テンションがおかしいのか・・・が、まぁいいだろう。とりあえず大人な対応をしてみる…
「笑 何人来るの?」と返信。これが私の大人な対応の精一杯なところだ。
そんな調子で不可避の決定事項となり、友人たちは夜6時過ぎに麻布十番駅に着いた。酒は友人たちが買ってくれていたので、我がマンションに向かう途中にあるドミノピザによって、狭い拙宅に押し込んだ。
騒ぐは酒こぼすわ寝るわで、なかなか手ごわい客人である。全員がそろったのが7時過ぎくらいで、気づけば11時半になっていた。。時間を忘れてたくらいだから、私も楽しんでいたということなのだろう。
日本の3大商社の一つに内定が決まっているK大法学部の男性と、出版業界を目指すW大法学部の女性の討論は、アカデミックな世界から遠のいていた私の脳ミソを大いに刺激した。男性がリアリストで、女性がリベラリスト。テーマは「国際支援の在り方について」を中心とした、非常に高尚な話であった。W大は「メディアと教育で人々を変えていかないといけない!!」と主張し、K大が「それはナチスだよ」と批判する。
私はといえば、「お前ら、どうでもいいが、声がでかい!!」と私は心の中で精いっぱい叫ぶくらいしか出来ない。
そんな彼らは、私のかけがいのない友人たちである。彼らがいるから、私は無茶が出来るし、人としての道を外れずに済んでいる。たとえ「やっぱり自尊心が高いね」と言われたり「一回ぽっきり折れてしまえばいいのに」とか言われても…だ。
うちに来たメンバーは、来月には全員が社会人になっている。私は一年間、地に足がついてない状態で社会人生活を送っていた間、彼らはピースボートに乗って世界中を旅したり(W大女)、ヨーロッパに一人旅に行ったり(K大男)私には出来ない貴重な体験をしている。
世界観が違うからこそ、これからも一緒に歩んでいきたい友だと思える。彼らを生涯の友だと思いたいし、彼らの生涯の友でありたいと思い、その為の努力もしていこう・・・そんなことを考えた、素敵な一夜であった。
家にやってきたリベラリストとリアリスト
LOUVRE
ルーブル美術館展―17世紀ヨーロッパ絵画―@国立西洋美術館(上野)
2009年2月28日~6月14日
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月一回の美術館めぐりの2月は、ルーブル美術館展@上野 国立西洋美術館
初日だったので人混みが・・・学生の頃みたく、平日の昼間にゆっくり回れたら、幸せだったろう。。と思いつつ、短時間で回る。
どこかで見たことのある(見たような気がする)絵もあったけれど、全般初見。いいなと思える絵はいくつもあったのですが、最後の方に展示されてたミシェル・コルネイユ(子)の『天国の栄光』(ピエール・ミニャールの原作に基づく)に、感想は全て飲みこまれてしまった気がします。。
そうはいっても、時間がたってみると、やはり印象深い絵は思い出す事が出来て、フェルメールの『レースを編む女』は、その大きさ(小ささ・・・かな)では考えられない存在感がありました。照明の仕方など、たしかに誇張されている部分はあったかと思いますが、とにかく鮮やか。またどこかで逢いたい絵画の一つとなりました。あとはマルガリータ王女。2008年の夏にもベラスケスの同テーマの絵を見ているので、なんだか懐かしい。「またあったね!!」みたく思えた。そういう絵画が増えていくのは、この上もなく幸せなことだろう。
この日であった絵画たちに、しばらくのさようなら。いい刺激をありがとう。
1月のまとめ
2009年の最初の一月が過ぎてしまった。
2008年は、余りにも実家に対して無関心すぎたような気がして、正月早々、給料の一部を家に納め、愛すべき弟にお年玉をあげた。そのようにして始まった2009年。
美術館に出向き、後輩のコンサートを鑑賞し、新しいオーケストラに所属し、後輩の卒業制作とプレゼンからインスパイアされたりと、いろいろあった1月。仕事では、特に目立ったことはなく、刺激が足りないと思いながら、それにもだんだんと慣れてきた自分に気付いていたりもする。
中学生の頃から読み続けている青年コミックの最新刊が発売され、クラシックのCDやスコア譜も数曲購入した。本が増えすぎて、机の棚だけでは入りきらなくなった為、ハンズで木材を買ってきて2つほど本棚を組み立てたりもした。あとは…TAKEO KIKUTIの鞄を仕事用にしてみたりとか…まぁ、いろいろあった一か月だった。
昨年末に感じた焦りや、切なさ、孤独感も、だんだんと薄らいで、今は自分の生活をどうやって充実させていくかを考えてる。その答えの一つが、新しいオーケストラであるし、そこでの出会い、そしてかつての学友たちとの語らいである。共通の話題でしか会話は出来ないのであるから、これはしょうがないことなのだが。。会社の同僚たちよりも、ゼミや勉強会の仲間達と、金融や企業や地域再生やクリエイティブ産業のビジネスモデルなどの話をしている方がよほど有意義である。そして、音楽の話が出来る人たちとの数日に一度の語らい。人との会話は、今の自分を支える大きな柱なのだろう。
そうやって、自分をだましだまし歩かせて、自分をだましていることを忘れた頃に、きっと私は変わってる。少なくてもそう願いたい。
なにはともあれ2009年もあと11か月。人が遺せるものは、自分の歩いた軌跡でしかない。だから、あと11か月必死に歩いてみよう。2月は、バイオリンの練習に力をいれつつ、仕事でも「成果」を残そうと思う。あと、オケに迷惑をかけない範囲で英語を再び勉強べればと思う。あ、4月にある資格試験の勉強もしなければ…いろいろ大変だな。頑張るぞ。
~2009年1月の読書記録~
『きみの友達』重松 清
『みずうみ』よしもとばなな
『リーダーになる人のたった1つの習慣』福島正伸
『太陽の塔』森見登美彦
『女子大生会計士の事件簿―オーディオノベル版(上)・(下)』
『30日で夢をかなえる脳』石浦章一
計7冊
『太陽の塔』森見登美彦
久々の大当たりな一冊。苦笑爆笑しつつ、ほんのり切ない気持にもなれる、そんな「負け犬達の青春小説」。
処は京都。時は冬。世間は独り身には耐え難い雰囲気を醸し出す。そう、クリスマスシーズン。時代を感じさせるような描写があるものの、舞台は現代である。京都だから、一昔前の感じがするのか…いや、きっとそうじゃない。主人公が大学生でありながら、いわゆる「厨房」というやつなのだ。
学生の頃は、時間があるから独りだと生きるのも日々闘いなのだ。読みながら、自分の恋を振り返り、独白し後悔し、そして開き直る。「人生はそうやって繰り返すのだよ」と。
非常に豊富なボキャブラリに裏打ちされた、「妙に」リアルな心理描写の数々と、正直どうでもいい、主人公たち目線での大事件。これだけ濃密な小説は久しく読んでいなかった。間違っても、すがすがしい気分にはなれない類の書だが、ここまでオープンにされると、嫌らしさは感じない。
出逢いは偶然だけれど、なんとなく必然のように感じる。そういう出逢いは、今後も自分の中で大きな位置を占めていくんだろう。
第3回定期演奏会@金沢区民フィルハーモニーオーケストラ
2009年1月25日、昨年末のクリスマスからちょうど一月の今日は、金沢区民オケの定演を聴きに行った。
会場は、横須賀中央駅から徒歩で10分程度の横須賀市文化会館。
まず駅について、大学の先輩とばったり、それもトイレの中であってしまった…なんというか、気まづい感じw
Y先輩は彼女(大学の後輩)連れらしいので、少し会話をして別れた。彼女さんだけとだったら話も出来るのだけど、Y先輩との会話はちぐはぐになりがちだから怖いから逃げた…というのが正しい。その後、駅の出口を間違え、あらぬ方向へ突き進んだ私は、10分強も真逆の道を歩くことになる。途中で、どう考えてもおかしい気がして、駅に引き返し、開演5分前になんとか会場入りをした。間違えて進んだ道は、なんとなく懐かしい道(高校時代の部活の、泊まりがけの行事の帰りに同学年と立ち寄ったことがあった気がする)だから、歩いていて楽しかったのだが。。さすがにギリギリになったので、焦ってしまった。
曲目は
リスト 交響詩「前奏曲」
サン=サーンス 交響詩「死の舞踏」
ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
である。英雄は、私も演奏したことがあるが、前2曲は実はあまり知らないので、楽しみにしていた。
この演奏会で一番よかったのはサン=サーンス!!コンマスの変則チューニングとソロ弾きが面白い曲だった。不協和音や薄気味の悪い重低音が響く中、踊り出す骸骨たち…そんなイメージの曲でありながら、コンマスのソロの中には、楽しかった過去を思い出している時のような、温かく切ないメロディーが織り交ぜられている気がした。この曲弾いてみたいと思える曲だ。
英雄は1楽章がちょっと重い気がしたけれど、2楽章の葬送行進曲はそのペースから、さらに重々しく棺を担ぎ一歩一歩を進んでいる様がイメージできた。4楽章は、とにかく弦楽器は右手が疲れ果て、管楽器は息も絶え絶えになるような、そんな曲だと思っていたが、いい意味で余裕がありそうで、好印象。ただ、バイオリンはベートーヴェンで手首の刻みをしちゃいけないよなぁ。。と偉そうに思ったり。。
高校、大学と同じ学校に通ったファゴットの後輩と、高校の時同じパートだったバイオリンの後輩の姿が見れて、先輩として嬉しい限り。音楽を、ずっと楽しんでいってほしいなと。そして、自分も楽しまなきゃなと、そう思った一日。
『リーダーになる人のたった1つの習慣』福島正伸
別々の赤字カラオケ店の経営を任された、経営者の卵3人。彼らのとった方法と、周囲の人の関わり方から、リーダーに必要なポイントをストーリー風に解説しているビジネス書。ストーリーはベタでも、分かりやすく、かつ感動でき得るものになっている。
この本で書かれている話は、事実に基づいたものだそうだ。もちろん、多少の脚色はあると、著者自身が語っている所が、真実味を増させているような気がする。
まず自分から動くこと、人がついてこなくても、自分が動くこと。
人を変えるには、人を感動させること。
この方法ではダメなのか?と思うのは、「これくらいやればいいだろう」という思い込みが無意識の内に出来ているから。
私は、学生時代に学習塾と家庭教師で中学生を教えていた。
学習塾の方は、出来の悪い生徒と言っても、ある一定のレベルを保っているのだが(入塾試験を課すわけだから当然だ)、家庭教師は、まず勉強させるところから始めないといけないことが多かった。
私と一緒に勉強するのであれば、大概の生徒は真面目に取り組む。分かりやすい教え方が出来る(塾では生徒の前に出るまでに3か月の研修をこなし、生徒の前に出ても、授業毎にビデオを取られ教え方の指導をされたので、それなりに指導力はあるつもりだ)し、怒れば怖いというのもチラと見せているから、ついてきてくれる。
が、勉強をすること自体を前向きにさせることはできても、そこから一人になった時、どれだけ頑張れるかは、生徒個人に掛っている。自分が努力家でなかったからか、私は努力の仕方は教えられなかったのかもしれない。
何かを伝えるとき、指導するとき。そういうときは、人を感動させればいいのだ、と本書には書いてある。
その通りだと思う。そして、その感動させようという時、心からの気持ちがなければ、人は感動しないものなのだ。それは、感受性の強い時期の子供たちからも、気づかされていたこと。そのことを最近は忘れていた。そう、大切なことは感動なのだ…そして、誠実さと思いやりである。
『みずうみ』よしもとばなな
よしもとばななの小説を読んだ。彼女の名前はもちろん知っていて、作品もいくつか書店で手にとり数ページをめくったことくらいはあったかと思う。でも、今までじっくり読んだことはなかった。なんというか、作品の中に日本の家庭の匂いがあって、たぶんそれが私を遠ざけていた…私が遠ざかりたかったのだと思う。
そんな私が本書を手に取った理由は、タイトルが「みずうみ」だったから。私は草木や海や湖といった自然物が好きなのだ。そして、それらに対して、思いを馳せるきっかけを与えてくれる小説やエッセイが好きなのだ。だから、なんとなく本書を手にとった。そして、パラパラめくり、読んでみることにした。
思ったより雰囲気は嫌いじゃなかった。結局今まで手に取ってこなかったのは、食わず嫌いなだけだったのかもしれないと思った。内容も、よかった。
けど、読むことで何か自分の中に残ってくれるという期待は、ちょっとはずれた。
何事にも期待は持たず、ただそのものを受け入れるような生き方で在りたいのだけど、なかなか難しい。。
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2009年も気づけば半月が過ぎて
新年に意気揚々としていても、半月が過ぎる頃には気づく。結局何も変わらない。
それは仕方のないこと。だって、私は昨日から明日に向かって連続して在るだけなのだから。
年が変わることにそれ自体に意味はない。大切なのは、自分がどうなりたいかと、その為に今日をどう生きるか。それは、いつの時点でも、きっと変わらない。だから、年が変わろうが結局何も変わらないのかもしれないけど、それでいいんだよ。ってふと思った。
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年明けから数週間にわたって、会社の代表が新人向けの講演を開いている。入社数か月以内の人が対象の講演で、(わが社流)ビジネスマインド的な部分の補強と、経営者との接点の希薄化の補強が目的だと私は思ってる。社員にとっては、代表の話から、何を考え、日々の業務に活かす「ネタ」を探す時間。プラスして、私のような人間にとっては、「経営陣」というものの本質を探る時間だ。(近い将来、経営に携わるつもりでいる)
2回目今回はCS(一回目は問題解決能力についてだった)。
顧客満足は、創造するものだ。顧客が満足だと思える状況を作ることと、顧客の為になることとは両立しないことがままあり、そのバランス感覚が重要なのだ。それを実現するには、単にロジカルなだけではだめで、うまく環境要因と照らことや、自らが誠実であろうとすることが大切である。
3時間の講演をまとめちゃえば、そんなとこ。
誠実さ…2008年は、人を裏切り、傷つけ、奈落へ落とし、鬼畜とまで呼ばれた私だが、かつては誠実さが取り柄だったり…どこでどう間違えたのか。誠実さは、今年のテーマの一つにもあったはず。今年は、誠実でありたいと思う。
本を読むこと
私には自分というものがないのだろうか。
読んでいる本の文体が、自分の思考に使われる言葉となり、人の意見が自分の意見にすり変わる。それは無意識の中で行われ、自分が元々はどういう思考をする人だったのか、もう思い出せない。
このことについて、少し考え始めると、思い出す言葉がある。「あの人は影響受けやすいからなぁ」という後輩の言葉だ。
就職活動期、学年を問わず参加できるインターンで知り合った、その後輩。大学やキャンパスまで同じだったから、少し話すくらいの仲にはなった。ただ、逆を言えば、それだけの仲だ。そんな後輩から、言われた一言。もちろん、直接ではなく他の後輩からのまた聞きだが。
少し知り合っただけの人にすら、そのことが伝わる。それくらい、私は自分が薄いのか。
そんなことがあっても、本を読むことを続けてた。たとえ、それがバイアスになるだけだとしても。私はそれをやめなかった。年間50~100冊近く、小説からエッセイ、ビジネス書、哲学系、技術系、学術系。ジャンルを問わず。
そうやって2年が経った。
今は、変われることが自分の強さだと思う。言葉を受け入れ、考え、それを身とし、変容を繰り返す。それはきっと、私が成長を止めるまで続く、長い長い道、のはず。
気づけば今年が始まって、もうすぐ半月。これを24回繰り返せば、また一年が過ぎる。5回繰り返すだけで、社会人の2年目が始まる。振り返り時なのかもしれないなと、ふと思った。読んだ本でもまとめてみるかな。
『きみの友達』重松 清
流星ワゴンで知り合った、重松さん。君の小説『きみの友達』を読んでみたんだ。(『君の友達』風に書いてみました)
2008年に映画化されたらしいけれど、私は知らなかった。ごめんなさい。
タイトルや題材から、ちょっと子供向けかなぁと思ったのけど、流星ワゴンは大人の方が沁み入るような話だった。だから、この本を手に取ってみることにしました。2日くらい掛けてじっくり読んだけど、最後の方は、もう涙ぐんでしまって、いっきに読もうとしてるのに、何度も止まって。。これでも今年24歳になるんだけどなぁと、自嘲気味に笑えてきました。
1月5日(月)から仕事初め。決して、仕事のモチベーションが上がるようなタイプの話ではないけれど、それでも、前日にこの小説が読めてよかったと思います。心の中で、何かが変わるような、そんな感覚。久々のいい出会いでした。