Archive for the ‘【科学広報】’ Category

科学広報について

日曜日, 8 月 30th, 2009

かつてない、直球なタイトルです。

そんな直球な連載を始めさせて頂きました。オーム社隔月刊「メディカルバイオ」誌。巻末のQ&Aに続いて、一つの雑誌に2つの連載、あまりないことだと思います。編集部のご配慮に感謝します(同時に、他の雑誌の編集部の皆様、月刊なら、もう一つ二つ、お引受けできるかも。是非! という前に、書き下ろしをなんとかしないと)。

今後、書いていく連載のテーマ案を考えたのですが、10以上の項目が、極めてすんなりと挙がりました。これは、かつてないことです。Q&Aのテーマなど、できれば、2つ先くらいまで考えておきたいのですが、毎回、唸ってます。えらい違い。

1回目のテーマは、「ニュースって何だ」というタイトルにしたと思いますが、要は「報道」として、取り上げる事案とは何なのか、というあたりを取り上げています。やはり研究現場にいらっしゃる方にとって、”報道”と”制作”が、同じマスメディアの会社の中でも、全く違う動き方をしている、ということなど、なかなか、ご存じではないでしょう。この辺が、研究現場からのマスメディア観が語られるにあたって、焦点がぼやける一つの要因のように思います。
御高覧いただければ幸いです。以下、目次。
http://www.ohmsha.co.jp/medicalbio/

岩波書店が発行している「科学」の9月号にも拙文を寄せました。こちらは、書評です。早稲田大学MAJESTyが出した、科学技術ジャーナリズム叢書の2冊を取り上げました。ジャーナリスト本だから、というわけではないのですが、ややシニカル目に書いたのが、今思うと、ちょっと、嫌な感じ、を編集の方々がお読みになると感じてしまうかも、というのが、やや気になりました。反省点。買って読む価値はそれなりにある本だと思うのですが、そこが伝わった文章になっていたかどうか・・・。2冊の本をまとめて書いて、且つ、著者の独自の視点を入れること、という、なんとまぁ、難しい御注文も頂いたので、何とかこたえるべく、ということになると、科学広報の話を入れ込みました。「分野広報」不在、の話です。結構、難しい問題なので、もっと、どこかにちゃんと書かないと、と思っております。店頭に、9月号が並んでいるのも確認してるんですが、ウェブサイトはまだ、8月号トップですね、今日現在で。
http://www.iwanami.co.jp/kagaku/

ご高覧、ご批判賜れば幸いです。

個の利益を求めて、全体を損なう

月曜日, 4 月 20th, 2009

ディスカッションをしながら、考えるのだ。素粒子物理のように、大きなストーリーを全員が、前提なしに受け入れている場合、そして、協力と競争の土俵が定まっている場合、というのは、むしろ特殊な一例なのだろう、と。

脳科学の場合を思う。個別の研究成果を挙げて、それは、その属する機関は我先にと、プレス対応を試みる。曰く、***を解明!、と。そう、***に入るのは、かなり「大きな」フレーズであり、実際に解明されたのは、この「大きな」ステップの中の「小さな一つの」段階に過ぎない。

聞かされ続ける、プレスは、あるいは、そのフィルターを介した社会はどうだろうか。麻痺する。何が正しくて、何が本当に成し遂げられているのか。

個別の成果の広報の成功=個別の機関の広報の成功、それが、イコール、分野全体の利益を損ねる事態に陥っていないか、と。

 4月15日 一条ホールのシンポジウムで

to Public/with Public

金曜日, 2 月 27th, 2009

あの手、この手、というのがある。サイエンスを社会に浸透させるために、というのがいいのか、あるいは、サイエンスと社会をつなげるために、というのがいいのか。2月のAAASで見た、取り組みは、セッション名を"This is Science"とまで名乗っていた。比較的に話題を呼んだ、と言ってよいだろう、AAASが主催したScience Dance Contest。その結果発表会である。

事実上、アル・ゴアの講演会の裏番組だった、というようなことも作用してか、参加者は50名くらい、と、必ずしも多くはなかった。会場が、バスに乗らないと行かれない、遠い場所だったこともあるのかも知れない。主催者がバスを用意してくれてはいたのだけど。4部門(大学院生、ポスドク、プロフェッサー、一般視聴者最多ビュー数)のチャンピオンの表彰と、インタビュー、ビデオの上映、4組のプロのダンサー達による、チャンピオン達の論文に触発されたダンス。それが4部門のうちのどれを表現しているのかは事前に明かされず、後であててみよう、という趣向。会場は天井の高いスペースを持つ、市内のアンティークショップ。仮設舞台を組み、照明もプロが雇われているのだから、それなりの費用がかかっているはずだ。
参加する上では、非常に楽しい試みだったし、出演者も、参加者も、何より主催者も楽しんでいる風だった。

しかし、どうなのだろう。これが、結果としてどういう意味を持つのだろう。DVDを作る、とかも言っていたから、それなりのメディアにもなるのだろうか。いや、結局のところ、自己満足か。新しい試みだから、評価したいし、応援もしたいが、これがどこに向かうのか、今一つよくわからない。ダンスとしてすぐれているわけではないし、5-60人いる会場で、たった4つしかない作品で、どの論文をどのダンスが表現しているかを全問正解できたのは、5人くらいしかいなかったのだ。科学の「表現」の手段として、ダンスは明らかに向いてはいない。

10月のSociety for Neuroscienceで見たのは、"How -And Why- To Communicate With Nonscientists About The Brain"というセッション。脳神経科学の一般書で、ベストセラーの著者の2人が経験を交えた掛け合いのようなトークだ。「本」はいわば、science communicationにおいて既に確立された方法論だ。3万5千人の研究者が集まる場所で、成功者が方法論を説き、200人程度の若い聴衆がリラックスして耳を傾ける。飲み物か食べ物を供せよ、というワークショップの条件を満たすために、オーガナイザーはナッツの缶を会場に回す。うらやましいほどフランクだ。個人的には、Brain and Musicの著者に、あるいはミュージシャンとして功成り名を遂げた彼に会えたことでも満足だし。

学会で行うことの方法論って何なのだろう、と改めて思い、自分が作り続けてきたセッションを振り返る。

2009.2.13 AAAS Annual Meeting, "This is Science: The Results of the 2009 AAAS-Science Dance Contest"

2008.11.16 18:30-20:30 Society for Neuroscience Annual Meeting "How -And Why- To Communicate With Nonscientists About The Brain"  Dan Levitin and Sam Wang

教育を避ける

水曜日, 10 月 1st, 2008

先生と呼ばれないように気をつけている。何かの権威によりかかるような、自分が何様かと勘違いするような事態にならないために。誰かを教育することの不可能性を思う。見てもらうことはできても、教え導くことで建設的な何かが生まれるとは、考えにくい。ことに大人相手がそうだ。そこに、リテラシー、という言葉に含まれる誤謬がある。みんな、わかっていることだけれど。

ドロン・ウェーバーが語る。「ハリウッド関係者や演劇関係者に私が話すときは、決して「教育」という言葉は使いません。教育というのは、アーティストにとってはプロパガンダとか宣伝として受け取られます。ですから私は、「エンターテインメント」という言葉を使っています。」(p.30) エンターテインメントは、しかし、どのように成り立つのだろう。人を感情のレベルで動かすこと。ギャップ、ずれ、揺らし。

あろうことか、彼は自分で脚本まで書いている。

たどりつける場所なんだろうか。

スローン財団の科学技術講習理解プログラムディレクター。
政策研の講演録160 


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