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精神・神経疾患と科学

月曜日, 10 月 19th, 2009

病院や医学研究に縁がない人にとっては、「精神科」と「神経内科」、どっちが何を専門にしているのか、よくわからないくらいが普通でしょう。ほんの5年前まで、遺伝子との関連を、例えば新聞で書けば、大変な事態になりかねなかったのが精神科の病気。神経内科の病気は、その頃既に遺伝子との関連はもちろんのこと、先端的な治療の可能性が語られるターゲットの病気でもありました。重篤な病気が多い、ということでもあるのですが。
ある病気に関して、遺伝子のレベルでメカニズムがわかる、ということと、遺伝するかも知れない、ということと、全く違う話である、ということが、ようやくにも浸透してきたところといえるかも知れません。精神疾患の話の中に、遺伝子という単語すらタブー、という時代がちょっと前まであった、と。
10月の末に、サイエンスアゴラ2009の中で、こうした病気に関する基礎科学の現状を、正面から取り上げるシンポジウムを開催します。是非、皆様いらしてください。

10月31日(土) 13時~17時
シンポジウム「社会性の脳科学」
日本学術会議 神経系3分科会 主催
13:00 開会挨拶 苧阪直行(京都大学大学院文学研究科教授)
 セッション1:座長 苧阪直行(京都大学大学院文学研究科教授)
13:05 講演1 「嘘とだましの神経メカニズム」
     藤井俊勝(東北大学大学院医学系研究科准教授)
13:35 講演2 「駆け引きする脳」
     村井俊哉(京都大学大学院医学研究科教授)
 セッション2:座長 樋口輝彦(国立精神・神経センター総長)
14:05 講演3 「統合失調症の社会脳」
     三村將(昭和大学医学部准教授)
14:35 講演4 「発達障害と社会脳-脳画像の観点から」
     山末英典(東京大学大学院医学系研究科准教授)
15:05 休憩
 セッション3:座長 大隅典子(東北大学大学院医学系研究科教授)
15:20 講演5 「遺伝子からみた統合失調症」
     貝淵弘三(名古屋大学大学院医学系研究科教授)
15:50 講演6 「物質的な母子間コミュニケーション」
     和田圭司(国立精神・神経センター部長)
16:20 全体質疑応答
16:50 閉会挨拶 樋口輝彦(国立精神・神経センター総長)
17:00 閉会
総合司会:大隅典子(東北大学大学院医学系研究科教授)

ご参加のお申し込みは、お名前、ご連絡先、ご年齢、
ご所属、イベント名を明記の上、eメールまたはファックス
で、下記事務局までお送りください。(定員:200名)
【お問い合わせ】
東北大学脳科学グローバルCOE拠点事務局
仙台市青葉区星陵町2-1 医学部5号館2F・202号室
TEL:(022)717-7908 FAX:(022)717-7923 
E-mail:nsgcoe-s@med.tohoku.ac.jp
詳細URL:
http://ja.sendaibrain.org/index.php?action_seminar_detail=true&id=62
 

そして、こちらは必ずしも、精神・神経疾患とは関係ないのですが、近い日程で開催し、私がどちらかというと、こちらのほうが深く、関っているので、あわせて掲載します。こちらも是非いらしてください。 
11月1日(日) 14時半―17時
文部科学省科学研究費特定領域研究「統合脳」5領域
「分かった脳、まだ分からない脳―最新の成果をもとに」
14:30 開会 司会
  泰羅雅登(日本大学教授)
14:35 統合脳の5年(仮題)
  丹治順 (玉川大学脳科学研究所所長)
14:50 講演1 「環境に応じて機能を変える脳のしくみ」
  吉村由美子 (岡崎統合バイオサイエンスセンター教授)
15:20  講演2 「脳が表現する情報とその流れ」
  坂井克之 (東京大学大学院医学系研究科准教授)
15:50  休憩
16:00  ディスカッション
  円城塔 (作家)
  内田麻理香(サイエンスライター・東京大学工学部特任研究員)
  +講演者
コーディネーター:泰羅雅登
17:00 閉会
ご参加のお申し込みは、お名前、ご連絡先、ご年齢、
ご所属、イベント名を明記の上、eメールまたはファックス
で、下記事務局までお送りください。(定員:100名)
【お問い合わせ】
東北大学脳科学グローバルCOE拠点事務局
仙台市青葉区星陵町2-1 医学部5号館2F・202号室
TEL:(022)717-7908 FAX:(022)717-7923 
E-mail:nsgcoe-s@med.tohoku.ac.jp
詳細URL:
http://www.togo-nou.nips.ac.jp/event/20091101.html

Don't you know? / They're talkin'bout a revolution

水曜日, 9 月 9th, 2009

Tracy Chapmanの名盤について、いや、サイエンスのプロセスについて語ろう。

研究が行われる。それは、研究者が実験をする、あるいは、解析をする場所。そこは、大学の研究室、企業の研究所、国公立の研究所。
研究成果が発表される。それは、昔からある、研究者が組織した、学協会が組織した、学会が発行する学術誌。あるいは、彼らが認めた商業誌。
研究成果が研究成果として認められる。それは、オーソライズされた、学術論文の形を取り、それなりに正しい、と、「仲間」から認められ(ピアレビュー)、仲間内で発行される学術誌に掲載されること。

この、出来上がったシステムに風穴をあけよう。
この組み上がった仕組みを、根底から揺すぶろう。

誰もがアクセスできるオープンなスペースを作ろう。学術誌が決めたスペックでなく、個別のデータでいいじゃないか。そこを結び合わせるのが、他人だっていいじゃないか。先願主義とか、先発明主義とか、そんな昔の流儀の上に立ったシステムを超えて、そのオープンなスペースに、最初にのせた人に、プライオリティ―を認めよう。オープンソースと同じことだ。難しいことなはずがない。

研究の場所は、大学や研究所じゃなくたって、いい。患者は、自らを材料に、最初に一次的な、だけれどいささか主観的なデータをポストできる立場に立つかも知れない。ならば、その周りに、ゆるやかに、静かに、そして自然に、組織化される何かが、立ち上がることを期待できるかも知れない。

科学技術の成果の正負の両面、とか、そういう生易しいものではなくって、すべてのプロセスをすべての人が参画できればいいじゃないか。

専門家の意味を剥奪し、大学や研究機関のあり方を根底から変えることにつながるかも知れない。藤垣先生だったかがおっしゃる「ジャーナル共同体」を、たたき壊しましょう、という話を僕は、しました。多分。2日続けて。

月曜、京都で話した回は、そこに、世界に名だたる現場の理系研究者がいらしてくれたおかげで、真っ向から反論を受けました。光栄至極って、このことなんだと思いました。

最初に意識したのは、昨年の11月。サイエンスアゴラ2008でのセッション。2008年12月のBMB2008でのセッションと、そのまとめを情報管理5月号に書いたのに続けて、2009年6月のSPARCセミナーである程度、形になり、今回のSTSNJと、DRF-techで、明確になった。後戻り、できない。どうやら、そこに、the mountainがあるらしい。

STSNJ夏の学校2009「科学技術コミュニケーションを問い直す」 セッション「Science? or Scientific? -科学コミュニケーションの現在形」(organized by 長神風二/岡本真) 長神風二「図書館を攻略せよ -サイエンスコミュニケーションの戦線拡大」 全くもって、タイトルから遠くなってしまった発表
そして
DRF-tech-Kyoto workshop for Application of Repository Infrastructure for eScience and eResearch 研究成果やデータを永久保存していく活動へ向けて  の第3部、横断的ディスカッションの中で発表「リポジトリからeSicenceへ -サイエンスコミュニケーターからの提案」

 しかし、前者は科学技術コミュニケーションの、後者はリポジトリについての会だったのだ。僕は、一体、何をやってるんだろう。だけど、いいんだ、きっと、それで成り立つコミュニケーションを、見つけてきたような気がするのだから。

後者のイベントをちゃんと知りたい人は、
http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20090908/1252363212
ここを読むとわかるとおり、僕は、プレゼンで言いたいはずのことの8割を、轟先生や米田先生のプレゼンに対する質問で使っちゃったんだ。

 

 Tracy Chapman "Tracy Chapman"  'Talkin'bout a revolution' アルバムは1988年にWEAから。有名な'Fast Car'を含むアルバム。

速報を見ながら思うこと。

火曜日, 9 月 1st, 2009

30日の晩、有志で集まってみました。あくまで、ネット上、Twitter上で、#kagakusenkyoというタグだけを手掛かりに。曲がりなりにも、1週間か10日そこら前に声をかけたのが、たかだか8人。まあ、それで24時間前からTwitter上で何か言っていれば、それなりに集まってくれる人もいるだろうか、と。

子どものころから、アメリカの大統領選挙、あるいは、そのための各党の指名獲得選挙の様子をテレビで見ていて、思うのです。風船飛ばして、みんなでプラカード持って、お揃いのTシャツ着て。アメリカと同じものを日本がやる必要はないのですが、何かちょっとうらやましいものもあった。みんなの代表を選ぶのです。それはそれで、お祭りなのです。何か、名前を絶叫して、お願いしますっていうのと、もうちょっと違う何かがあってもいいじゃないですか。

生真面目だけれど、何か楽しい何か、っていうのも、あるはず。ちょっと、マニアックな感じもあるけれど、科学技術政策について、選挙速報を横目に、適当につぶやいてみよう、これ、それなりに見てるだけでも面白いかも、と思って、何人かに話したのが始まり。ただもう、単純に、ちょっとでも関係があれば、なんでもいいから喋りましょう、と。
ただ、時間だけ、区切ることをしました。開票当日、20-22時。これがよかったのかも知れません。

結果として、この2時間の間に、ハッシュタグ付きで喋ったかたは、40余り。見てる人は声をあげてー、と再三呼び掛けましたが、流石にそれほど、「見てます」とだけ言って下さる方もいらっしゃらない。でも、100以上はいらしたのかも知れない、という実感はあります。

つぶやきあい、というのが、どこまで、議論になったか、といえば、掘り下げたり、深いものは難しいでしょう。また、話題が、最初から、かなりディープなところに行ったり、専門用語、jargonが多いところでもあるので、それは敬遠される結果もあっただろうと思います。

とは言うものの、政策決定プロセス、人材、流動化、地域格差、などなど、それなりの問題がざっと、取り上げられるのに、大した時間もかからず、みんな、ある程度の共有ができてしまう、その辺りが、この技術の特色なのかも知れない、と思いました。

今も、ぽつぽつと続いています。

どうまとめるか、といった時に、必ずしも、狭い意味で「まとめる」必要はないのかも知れませんが、もうちょっと、通り過ぎるだけでなく、触れる形にすることができれば、と思っています。

http://twitter.com/search?q=%23kagakusenkyo

あるいは、kiwofusiさん、という方がまとめてくれたサイトが見やすいです。
http://kiwofusi.sakura.ne.jp/hashtag/output.cgi?name=kagakusenkyo&start_id=3623103856&limit=500

 開票速報を横目に科学技術政策について語ろう 
 日時: 2009年8月30日 20-22時 (19:45開場、自主延長可能)
  会場: Twitter上
 参加資格: Twitter user
  参加費: 無料(通信料等自己負担)
 参加条件: コアタイム内につぶやいたことに対して、転載を許可すること (申し出れば適用除外可能)
 呼び掛け人: fj_n

振り返ること

火曜日, 7 月 21st, 2009

イベントを直接的に振り返るのは、あまり、このブログに適さないと思ったのだけれど、たまには少し。

主宰代表者とは、たぶん、3年前の最初のサイエンスアゴラの時に初めて、直にお目にかかった。実行委員の多くの方や、会場の方とは初めてお目にかかった。3年前のイベントの総括と2度目以降の実施のために、半年近く、各所を回ったが、その一環で、新潟に行ったのが、確か、2007年の3月。ちょうど、会場となった書店が、新規開店して直後の時だった。この会を始める計画のようなことを、主宰代表者の方が話されていたような記憶がある。そしてめぐってきたのだ。また、その2007年の出張は、新潟県で初開催となる、サイエンスアゴラ的な、「場」作りのイベントが開催されたのに合わせて行った。その仕掛け人にして大黒柱は、会場にいらしてくれた。人がつながり、めぐって、場ができ、そして更に人がつながる。
その結節点にいる全ての人に、そして、このためにわざわざ遠くから来てくれた幾人かの方々に、月並みなことばだけれど、心から、感謝する。

反省は多くある。特に。
事前に新聞で告知記事が掲載された際に、これは、勘違いされちゃうな、と思った。「神話」の話を聞けると思って来る方がいるだろう。すでに準備しているものとは異なる。 だけれども、どうだろう。サイエンスコミュニケーションは、周辺を取り込むことでしか発展できないではないか。勘違い、は、もっけの幸い、それをプラスに転じることこそが、コミュニケーションのコミュニケーションたるところのはず。準備したものをこなすのに追われた自分に、心底がっかりする。期待していらして頂いた方には、お詫びしたい気持ちでいっぱいだ。

試みは、一つの挑戦だった。サイエンスの話、は、するようで、しない。場として、何をつなげられるのか。なかなか狙いがはまったとはわからないが、試み、として受け入れてもらえた部分はあるのではないか、とは思う。高めていくためには、ブラッシュアップが、精魂こめたそれが必要なのだけれど。スタイルは、ある意味、僕自身の成功体験を模倣してしまった。中身に合わせて、スタイルを選択するところまで、考え抜かないと、ほんとはいけない。

対等な対談、というスタイルは、たぶん、サイエンスカフェには、それほど、向かない。だけれども、マイクを握って楽しかった。これは、多くを、共演者に依る。最後に、感謝を。

 サイエンスカフェにいがた 「オリュンポスの神々と本をめぐって ~科学夜話12題24色」

名前を

月曜日, 7 月 20th, 2009

出典にあたりながら書いているわけではないので、表現は不正確だと思いますが、好きな小説家の作品の一節に、こんなのがありました。 
 老弁護士“わたしは、歴史上の拷問者の名前を覚えるようにしています。”
 主人公”実際に、執行した人の名前、ということですか?”
 老弁護士“そうです。誰が実際に行ったかが重要なのです。”
 主人公”しかし、彼は上官の命令で行ったのでは?”
 老弁護士“命令、はよく使われるいい訳です。”
最後に誰がやったかは、重要です、いつも。私たちは、誰が最終的に決断したか、を曖昧にする国で暮らしています。ならば、むしろ、徹底的に、誰が最終的に手を下したか、を明確にしてもいいのかも知れません。末端は動かなくなるでしょう。そして責任があぶりだされる、ということにならないでしょうか。

と、あまりネガティブなことを言っても仕方がありません。

誰が最終的に行ったことが美しかったのか、を記録と記憶にとどめないといけません。金曜日に新潟で行ったイベントで、見事だったのは、わずか数日前に渡したリストをもとに、絶版本までふくめてかなりの点数を探し出してきた、書店の店員の方なのです。彼の名前を聞き忘れました。連休が明けたら、もう一度聞かないといけません。店の命令には違いないでしょう、しかし、誰が最後に行ったのかを、忘れてしまっていい、その言い訳にはならないのです。

 サイエンスカフェにいがた 7月17日の出演から
 【本】 「ダマセーノ・モンテイロの失われた首」 アントニオ・タブッキ 草笛伸子訳 白水社
  でも、タブッキは何と言っても、ペレイラです。

果実へ

水曜日, 7 月 8th, 2009

5-10分話した相手、イベントの折。更に、そこから、1クッション。
土曜のイベント後に週明けてただちに連絡を試みたとは言え、決して、その後のやり取りはスピーディーということもなく、流石に今回は布石のみに終わるか、と思っていた。中途半端な布石は、とらわれる分、ないよりも面倒になることがある。

先週の後半にもらった連絡から一気に話が進み、今日、先方で、可動式の本棚に並ぶ100冊を見て、圧倒されてきた。餅は餅屋、ではないが、やはり、相手は専門家、なのだ。自分が渡した50冊のリストはすでに形になり、そのうち貸し出し中のものは全て、リクエストがかけてある。そのほかに50冊を、たかだかキーワード検索で拾ってきてくれたのであろう。もちろん、分野が分野なだけに、多少、眉唾なものも紛れ込んでいるが、まあ、いいことにしよう、流石にいくらなんでも、という2冊を除いて、すべて、そのまま、特別配架してもらうことに。

明日になれば、立派なコーナーができて、来館者を迎え、そして、日曜に向けての広報になってくれるのだろう。

つながりの創出を意識したイベントで、実際につながっても、結局その後、ちょっとしたメールのやり取り以上のことに発展などしないことの方が多い。1か月も経たないうちに、具体的な、目で見て手で持って語れる形で、「次」が現れたこと、それを作れたことを、ちょっとだけだが、誇らしく。そして、場をつくってくれた人に対して、真っ先に伝える。感謝を。

  ARGカフェ@仙台が、同じ建物内の図書館で、僕らのイベントの関連特別コーナーにむすびつくまで

作業/自省

日曜日, 6 月 21st, 2009

昨日のことを振り返る。初めて会う人とたくさん会う集まりだと分かっていたのに、なぜか名刺を忘れた。一番の手痛い失策。更に、配布資料を作成したのに、そこに連絡先も入れていない。重なる失策。

 玉ねぎをスライスする。室温になじませている、煮込み用の肉に、小麦粉をまぶすか、しばし考えて今日はやめる。
 それぞれ炒め、合わせて、赤ワインをたっぷり加えて、煮込み始める。

調理の作業は、大抵、自省と共にある。段取りを考える時間はもちろんあるが、さすがに作業に比して考える時間は余る。今日は自省が必要だから、あえて、作業時間が長いものを選ぶのだ。会場のスペースは、想定していたよりも、発散した感じだ。昔の職場の時代もそうだけれど、ふらっと歩いている人を、立ち止まらせるのは難しい。ましてや、歩く人は、違う場所に用事と目的がある人だ。その場合に、オープンスペースであることの意味はどの辺にあるだろうか。

 煮込みはとろ火で4時間見ておく。時々、水やワインを足す以外に、大した作業はない。
 中断している作業の間、自省まで中断する。そういうものだ。

発表スタイルで、惹きつける人々。5分、という時間制限で、「声」は重要だ。最初の一声で、視線をもらっている人が2人、いただろうか。制限がきつい分、工夫の仕方がとんがる。
自分はPCの操作を主催者に任せて、歩く。配布資料を配る名目だが、幾分、計算外だったのは、アプローチできない場所があったこと。会場の一番後ろでしゃべっていても、自分を振り返ってみてくれているのは、7-8人。30人は、前のスライドを見ている。大したこと、わざと書いてないのに。あと2-3割、書くことを減らさないといけない、ということなんだ。

 たまごをゆでる。トマトを湯むきする。アスパラガスをゆでる。どうせ後から冷やすものは、作業を前倒しする。
 買い物した時にはカルパッチョにしようかと思っていたホタテの貝柱を見る。刺身のままでいたい、と言っている。
 支離滅裂だが、これは刺身のままでいこう。
 ラタトゥイユでもしようか、と思った夏野菜たち。煮込みに煮込みも難だし、炒めるだけに変更する。

記憶に強い印象を残している発表は、後半の方が多い。発表そのものによるのか、それとも、自分の発表が終わっていると素直に聞けるのか。恥ずかしいことだが、どうも、後者のような気がする。詩人の方の朗読はなんだか久しぶりに聴いたこともあるけれど、印象深いし、山形の方の、具体的なユーモアのある発表も。聴くことに集中して、メモを取らなかったが、1日経つと忘れるものだ。終わった後の飲み会のせいかも知れない。

 レタス、アスパラガス、黄色のパプリカ、トマト、ゆで卵に、パルメジャーノ・レッジャーノでサラダを仕上げる。
 思い立って、マッシュルームのスライスも加える。
 ビネガーは、別に、バルサミコだったりしない。普通の醸造酢。
 バルサミコ酢の瓶が大抵、たれ易いのは文句は出ないんだろうか?と、ふと、無関係に思う。
 まあ、イタリアのやることだ。

会うのは難しくない。つながることは、やや難しい。続けることは難しく、ともにつくることはもっと難しい。
数十枚のもらった名刺から、誰が誰か、すでに特定が難しい部分があるのは、メモが不十分だからだ。仙台で、近所で、半端に、やっぱり、アウェーであることを忘れていたから、こうなる。サクランボを見て、やられた、と思った。アウェーの話をしたくせに。

 マッシュルームの根付を処理して、煮込みに加える。あと、15分。
 スープは、パック入りの出来合いのものでごまかす。乾燥パセリでもふるか。
 炒めものの準備とテーブルのセッティングに入る。
 なす、パプリカ、玉ねぎ、下ゆでしたニンジン、トマト。あー、ここに緑が足らん。ズッキーニがなかった。

反省ばかりしていても仕方がない。今日が明ければ、月曜だ。明日中に、“具体的な”次へのアクションに入れるか否かが、勝負になるのは明らかだ。鍵は二次会以降にある。大学のサイエンスカフェの場所。ワーキンググループを動かさなくちゃいけないから一仕事だし長期戦だが、一つ目のキーだ。東北方面をどうするか、乃木坂から間接的に来ていた課題を利用できるかも。これも、機構的な相手が入るから骨だが、フックになる。二つ目。そして、三つ目。11月頭、お台場。セッションを一つ、組めるかどうか。もちろん、ほかに、相手が用意してくれた、ネットワーク募集にのるのも、一つある。だけど、お土産なしに行くのは気が引ける。何があるかも考えないと。

 炒めと盛りつけに入る。料理の作業は順調だけれど、考えがまとまらずに焦る。
 ここで思いつかないと月曜に動けない。特に、お台場の件で、もう一つ何かが必要だ。

9月がある。あの会をステップに使えるかも。思いついた途端に、もう一つ。science communicationと、scientific communicationという、いつも対置する2つを利用すればいいじゃないか。他にもいろいろと思いだし、思いつかないといけないけれど、今日の成果はここまで。

 料理が終わって、3人食卓につく。自省も終わって、明日の戦略が定まる。

    2009.06.20 第4回ARGカフェ&ARGフェスト@仙台

つくりあげること/進化のプロセス

火曜日, 6 月 2nd, 2009

さまざまな評価手法の話を聞く。代表、になってしまった、インパクトファクター。対抗的なオイゲンファクター。最近話題のh-index、韓国が独自に開発したKorなんとか。引用指標にしても、分野をどう見るか、年限をどう区切るか、母数をどう取るか、などによって、さまざまに変化する。「各研究機関がその実情にあった指標を導入するのが理想。でも、それ専門に一人専門家を雇えるか、というと、必ずしもそういう訳でもなかろう。」というようなことを根岸氏(国立情報学研究所)。

すべての指標には欠点がある。インパクトファクター信仰の危険さは、さんざん指摘されている。だが、結局使われているのはそれだけなのだ。単純で、わかりやすく、つまり力強い。雑誌の指標であって、論文の指標でないことへの勘違いも、広まってしまっているが。
新しい指標にもそれなりの欠点がある。さまざまな提案が、さまざまになされて、そして消えていく。
どうするのがいいのか。

指標を作る側がいかに努力を続け、精密さを増そうとしたところで、同じかそれ以上のスピードで、学問を取り巻く環境も変化する。指標を作る人々の努力は確かに試行錯誤の段階だが、だが、今のままそれが進むと、「指標学」が進むだけで、研究の現場へのフィードバックがなされないのでは、という危惧も感じてしまう。

使うしかないのではないか。たとえ、批判を浴びようと、小額の競争的研究資金を、もう、単純に、ある指標とある指標だけで決定する。指標の計算にミスがないか、申告に過大がないかのチェックがポイントになるから、審査は機械的、外形的になる。審査員の先生方に査読をお願いする必要も、審査員の先生方に依頼状を出して振込依頼書をもらい、押印して送ってもらう必要も、日程調整する必要も、被審査側に日程通達を出す必要も無くなる。

その上で、指標ではもれてしまう要素は何かを、被審査側、その他含めて、多様な議論を行って、改善していく。指標は、一通りである必要はなく、複数の組み合わせであっていい。そして、審査を通った事業の事後評価を通じて、審査基準をmodifyしていけばいい。進化のプロセスを働かせるのだ。

審査の書類を出すのにも、審査をするのにも疲れきった教員たちを見ていて思う。

 「科学情報の活用に関するワークショップ」 6月1日 産業技術総合研究所

アンソロジー

水曜日, 5 月 27th, 2009

もともとは、30章程度の中の1章のみが目当てで、大部の本を取り寄せる。もちろん、承知の上だから、否やはないのだし、目的とした1章は、当初の目的を超えて有用だったのだけれど、何だか、ちょっと、それ以外の章を読まないで放っておくのも悔しい。で、読んでみて、思わぬ発掘をしたりする。検索でピンポイントにたどりつく情報に広がりがないが、編集された紙面は、組み合わせの妙があったりするのと同じことだろうか。大学時代の友人が1章を担当していたり。

結局、その本で書評まで書くことになって、気づく。正直なところ、これは、全部読まなくても、むしろ書けてしまうのだ、1000文字程度ならば。もちろん、最終的には1冊全部読んだが、締切を睨んで、並行して書き始めて、ある程度のところで、また読み進める、結果として、書いたものに、幾つかの章が反映されているかと言えば、ない。30章も、別の著者のものが入っていると、1000文字足らずの原稿で取り上げられるのなど、せいぜい、数章分だ。裏を返せば、30章を全部反映した形で、一つの評を書けるか、と問われれば、難しい。

アンソロジー的なイベントも、そういうところがあるのかも知れない。サイエンスアゴラから、サイエンスコミュニケーションが語れるだろうか。

 「脳科学と芸術」 工作舎 2008年 小泉英明 編著

 書評 近日公開予定

記者会見

土曜日, 4 月 4th, 2009

記者会見、というのは不思議なイベントだ。定型で、特に、準備の要素がないようでいて、実はそれなりに、プロデュースのやりようがある。事前にどういう情報をどう流すか、誰にどう話すか、そして、何より、どのタイミングでどこでやるか。 もちろん、外的な要因で決まってしまうことの方が多く、思い通りにならないことも多いのだけれど、決してそれだけではないところが面白い。会場の設定に自由度があれば、なおさらのことである。

今回、病気に関係することもあるけれど、かなりびっくりするほど好意的だ。

 4月3日 文部科学省記者クラブで。

異分野対話

金曜日, 4 月 3rd, 2009

異分野対話型のイベントをするのに、一番気を使うのは、話が噛み合うか、と同時に、文化の衝突だ。依頼の仕方から始まり、イベントの作り方まで含めて、業界が異なればすべて異なる。こちらが想像もしなかったポイントを相手が気にしている、ということも、経験してきた。

今回、チラシに悩んだ。扇子を使うのはいいが、その中に適当な模様を入れてしまうと、余計な意味を持たないか。一見、演者に問い合わせれば済む話ではあるが、何でも聞いてしまえばいい、という姿勢そのものにも、さまざまな問題をはらむ余地があると思っている。あまり余計な連絡を入れたくはない。結局、デザイナーの数十分の作業で、模様を抜いてみる。そしてなおも、問題ないデザインに仕上がっていたから、連絡することなく、落ち着いた。CMYKの発色で、金にしか見えないのが不思議だ。 

 3月27日、夕刻のサイエンスカフェ 文部科学省旧館1Fで。

偶像か実像か

土曜日, 11 月 29th, 2008

数千人は入ろうかという会場が満員になる。世界最大規模の学会とは言え、そうそうあることではない。ノーベル平和賞をとった元副大統領が登壇したときならば、理屈としてわかるが、当該分野の研究者が、というときに、どうなのだろう。

Rizzolatti。ミラーニューロンを見出す。おそらくは、ここ10-20年の神経科学で最大の発見だったのだろう。イタリア語訛りの彼の講演を聴くために、数千人が一方向を向いている。ひきつけているのは、本当に彼の話なのだろうか。存在そのものだろうか。あるいは、帰って誰かに話すため?

伝説が目の前にいる。その空間にいることに価値がある、どんな口調で、どんな風に、そして会場にどんな雰囲気が漂ったのか。ライブを味わったものにしか共有し得ない体験を求めて、数千人はそこにいたのだろう。科学の講演で、プロを相手にも、あるいは、だからこそ、成立し得るのだ。

この国に伝説の人はいるだろうか。だが、その前に、伝説は作らなければならない。虚像ではなく、実像を、偶像化する過程として。物語をつむぐこと、価値を生み出すこと。

 Society for Neuroscience 2008, Nov 18, Special Lecture "The Mirror Neuron System in Monkeys and Humans", Giacomo Rizzolatti


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