10 月 13th, 2011 by f_n
8月末に書いて、アップしあぐねていたものに、一部、加筆。
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久しぶりに、なのか、サイエンスコミュニケーションのことを書こうと思います。半年くらいで、なぜか急激に手あかにまみれたような言葉になった感じもあります。自らを、サイエンスコミュニケーターじゃない、とわざわざ言う人もいるみたいです。震災と原子力発電所の事態(この二つは、決して、一つの事象ではないのです、僕にとって)にあたって、急激にバッシングがあって、というようなことも聞きました。仙台で、医学系研究科の広報を務めた身には及ばなかった面もありますが、読んでいて、いくつか応えたものもありました。
最近は、2度目を迎えたサイエンスイラストレーションスクールが先週終了したり、相当な準備をしている日本神経科学大会とその関連の行事が間近に控えていたり、言うべきことはたくさんあるのですが、それらは、もうちょっと待って(って、書く日が来るのか)。
瀬名さんの本や論考を読んでいます。ちょっと前に、ハヤカワ文庫で出た「希望」、それから、数日前に出た作品社からの「3・11の未来 日本・SF・創造力」の中の「SFの無責任さについて」。
半端な引用をすると、かえって誤解を呼びそうで、なので、本「希望」(2011年初版)の中の中篇「希望」293-294ページと書いておきます。サイエンスコミュニケーションをめぐる状況が端的に批判されていますが、
“科学界の多くの人々は公衆の科学理解を増進させたいと願っているが、実際の関心はおそらく、科学に対する公衆の評価を高めることや、自分と自分の仲間の社会的地位を高めることにある。” (—Gregory & Miller, 1998 ストックルマイヤー他、佐々木他訳の「サイエンス・コミュニケーション―科学を伝える人の理論と実践」の序文から孫引き) という僕がよくひいていたことに、更に、如実な経済的な状況が付加されている、といったところでしょうか。
「SFの無責任さについて」の中でも、サイエンスコミュニケーションへの言及はありますが、こちらは、その部分よりも、震災とその後についての仙台からの言説が、刺さりました。東京を中心とする首都圏に対して、自分ではなかなか言葉にできずに言えなかったことが、明確に言語化されていました。論考の後半部分は、やはりSF論なのですが、前半部分は特に、SF論を超えて、広く読まれてしかるべきものです。それを、先に言語化されたことに対して、とても大きな敬意と、とても僭越ながら少しばかりの「先にやられてしまった」感と、そして、広く読まれるべきだと感じるのに、このSF関係者しか想定していなさそうな媒体なのはなぜだろう、という思いとを感じています。
さて。
地震と、津波を受けた、沿岸部の壊れた風景の中で、僕らは立ち尽くしました。
僕らは、地震を予知できたでしょうか? いいえ。
地震学者たちは地震を予知できたでしょうか? いいえ。
僕らは、地震学者たちが地震を予知できると思っていたでしょうか? いいえ。
僕らは、地震学者たちが地震を予知できない、ということを知りながら、それを広く伝えたでしょうか? いいえ。
津波はどうでしょうか?予知できたでしょうか? いいえ。全く。
津波の予報や警告はわかりやすいものだったでしょうか? いいえ。
そして、喧騒うずまく、原子力発電所事故とその後の中で、ますます立ち尽くしました。 (この辺から、最近加筆です、8月末でなく)
僕らは、事故の可能性を警告していたでしょうか? いいえ。
僕らは、事故後、情報を伝えることに役だったでしょうか? いいえ、あまり。
上で、僕ら、というのは、サイエンスコミュニケーター、として、というわけです。予知を僕ら自身ができたか、という設問はともかくとして。近年、育成が政策的に進められたこともあり、やはり、急場には役に立たない、という批判も見受けたように思います。特に原子力発電所事故の急場においては、矢継ぎ早な解説を求められたりしても、初歩的な教科書以上のことを言えなかったり。
サイエンスコミュニケーターという言葉で括られる中に、決して多くの人間はおらず、恐らく、研究者というカテゴリーの中にいる人よりも、3桁少ない数だし、など、いいえの理由を連ねることはいくらでもできます。言い訳を連ねるよりも、―
長神個人としては、東北にいる、ということもあって、そういう批判そのものの矢が直接向いてくる感じがなかったし、最初の3か月はそれなりにやったような気になって、そのまま真夏のサイエンスイラストレーションサマースクールと、その後の神経科学大会の準備に突入してしまって、一気に、「例年通り」に戻ってしまいかねないところにいます。
自分ができることをやる、という言葉がそこかしこで聞かれました。
自分自身振り返って、5月までは震災モードで格別にやれることはやったし、その後については、まさしく、その言葉通り、できることをやる、をやった、とは思います。しかし、敢えて言えば、それは言い訳かも知れないと思うのです。普段でもやったであろうことをやっただけのことは、できないことの言い訳ではないのか、と。
何度か、関東・関西の知人・友人を被災地に案内して、一様に、沈黙に入ったまま、それがアウトプットとして何も出てこないことに苛立ちも感じました。要するに、自分に向いた刃を、他人に仮託していたわけです。
8月20日に再訪した閖上の風景をおもいます。
人々を、特に外国からの人々を案内しながら、写真を撮る人々の中で、シャッターを切れない自分の内側にあったものに、血肉を与えることを何とかしようと思います。
やっぱり長期戦です。 そう、内側も。
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9 月 25th, 2011 by f_n
日本神経科学大会の実行委員は、実は3年連続なんですが(そんな人は他におらんだろう)、今まで2年は小泉周兄貴のもとでプレス対応をしていればよかったのですが、今回は、市民向けの企画、総合して担当なんで、はたとまず考えました。
「学会が」ではなくて、「学会大会が」考慮するべき、社会との接点、って何だろう、と。
まあ、大きな学会大会は、大体が、市民公開シンポジウムを1回開催するわけです。100名やそこいらは集まりましょう。しかし、横浜なんて、山ほど学会があるし、大体、首都圏に近いし、それで市民講座って言っても、特別なことはないしねぇ・・。動物学会がやってるような動物学ひろば、を全国巡回(あちらの学会はサイズ的に、結構小さい都市でもできるし)できるならいざ知らず。
で。
大会開催の、開催地元への貢献を、曖昧に捉えるのではなく、狭く絞って捉えてみようか、というのが今回の試み。一つ前のエントリーで書いた、高校生を招くっていうのが企画でした。地元の高校生。僕は、これができれば、アリバイ作りみたいな一般公開講座はいらない、と思い、そのように提案しました。
しかしね、これ、批判を受けました。30人やそこらの高校生だけを優遇して、100人以上の規模のシンポをやらないのでは、学会はエリート主義と思われる、と。何だかね・・・。そんなこと思う人、いるかね・・?
で、結論は、じゃあ、一般公開講座「も」やる、しかも、仙台と横浜の2回。 と、自らのスケジュールを顧みない道に突き進んだのはともかくとして、もう一つ、非公式イベントだったのが勿体なかったイベントが一つ。
「横浜開催」と言っても、パシフィコ横浜では、山のような数の学会大会が、行われているわけです。で、会議に来る人々は、あの会議場と、ホテルを往復する1-2泊を過ごして、いつの間にかいなくなり、その会議について横浜の地元の人々は何も知らずに終わるのです。
なんだいそれは。
ならば・・・、と考えたのが、公式にする時間が切れて非公式行事になった9月16日夜の企画。ダチ公・岡本真が率いる(?) 「くるくる関内」との共同企画。
学会からの参加者を誘うのに僕が使った文句は、「ゆるいサイエンスカフェに御協力下さい」
くるくる関内側が使っていたのは、「夜のサイエンスカフェ」。
まあ、どっちも何とも怪しいですね。
ポイントはいくつか。
・研究者や科学の関係者が主催してそこに御客さんを呼ぶのではない。
たくさんあるサイエンスカフェがなかなかできないことです。うむ。
・もともとある「別の」コミュニティに、科学の関係者側が「入れてもらいに行く」
今回の場合の、「くるくる関内」がそれにあたるんですが、要は、関内で”くるくる”と飲み歩く、っていう人たちです。
この辺、時間設定も含めて、参加者募集、っていうのが、なかなか難しいものになるなぁ、というのはあります。
・向こうがある程度、徒党を組んでる以上、こちらも徒党を組んで乗り込む。
今回、5人の神経科学関係者が乗り込む、という形で、当日、よく見たら7人いました。
意外と見落とされている点ですが、「演者」が一人や二人、っていうのが、通常のカフェなどのパターン。こうすると、「登壇者」「話者」として、やっぱり、「特別」なのかも知れないと思います。今回、”わさわさいる”けれども、多過ぎはしないことが一人一人の”権威”を、ある程度はぎとれたかと思います。
・最初の話題提供は、とてもいい加減に。
5人が、10分話したら勿体ないので、結局、一人、5分も話しませんでした。5人(結局、7人)が立て続けに、2分くらいでサワリだけを、僕との対談で話して、あとは、テーブルトークへ、という流れ。
結果的には、見たことないほど盛り上がって、2次会は2時半くらいまで終わりませんでした。
で、ちゃんと話題も脳科学が中心になっていました。
(酔っぱらってよく覚えてませんけど)
Contentsがあって、Contextにのって、それがCommunityをもっていれば、よいCommunicationになる、というようなこと。
双方向性のコミュニケーションのことを思います。何かそれが目的のように言われることはあるけれど、どうも違うんでないか、と。
目的ではなく、手段。初めての人同士でも、双方向のCommunicationが有効に行われることによって、そこに疑似的ながらCommunityが現出したりする。もとから、何かのCommunityがあったりすれば、なおのこと。
間違いなくあの場で立ち現われていた、Co-passionのことを思い出しながら。
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9 月 24th, 2011 by f_n
先週、第34回日本神経科学大会が終わりました。意外と大変だったプレス発表資料まとめ・記者説明会のセッティングをはじめ、当初は出来合いのパネルでお茶を濁す筈がついつい凝ってしまったアカデミア展示、更に1週前の仙台での市民公開講座、金曜21時半開始の非公式イベント、ヨコハマトリエンナーレ・横浜美術館とのタイアップのシンポ、・・・等々、自分が関わった中でもいろいろあったわけですが、高校生関係のイベントについて、まず、記します。
大会そのものに、高校生を招いてしまおう、と、いうのが企画。
もちろん、英語が主言語の大会、専門性が高く、いきなりどうぞ、って言っても難なんで、いろいろガイドをしたりしながら、と。
横浜市で科学教育に名前からして力を入れている横浜市立横浜サイエンスフロンティア高校(SSH指定も受けている)に、まず、タイアップを申し入れたのが、ちょうど1年くらい前。初日14日に10名、最終日17日に30名弱の来訪が実現しました。
特別講演者(山中伸弥先生)や、Plenary講演者(Dr Karel Svoboda)に個別面談の時間を作ってもらって、一室で対話する機会も設けつつ、若手研究者国際ワークショップに参加してもらったり、展示を見てもらったり、という時間も設け。
更に、17日には、似たような趣旨で、講談社Rikejoプロジェクトから、5名の女子高生が来訪し、その方々もやはり、展示を見てもらい、口頭発表を聴いてもらい、そして、その口頭の演者と個別の面談の時間をつくってもらったり。
それらを、脳科学若手の会の方々にお願いして、“引率”してもらいました。
当初、果たしてどうなるのかなぁ、と、それなりの自信はあったものの、どこまでどうだろう、と思ったこの企画は、多分、相当な成功だったように思っています。
さて、高校生たちがどう感じたかなわけですが。アンケートを読んだり、実際に彼らが見聞している姿を間近で見たり、からですが、やっぱり、ああいう、非日常空間が与える印象は大きいように思います。思い返して、自分が最も印象に残っている学会は、やっぱり、学部生の頃に初めて参加した学会(日本化学会でした)かなぁ、と。どどーん、と立ち並ぶポスターとか、あれだけの数の発表が、ほとんど時間の遅滞なく進行していく様子とか、そういうものにショックを受けました。もう15年以上前なんで、流石に聴いた内容なんてさっぱりおぼえていないし、自分が発表した内容すら覚えていないけれど(OHPで口頭だったことは覚えている)、その時の光景などはまざまざと覚えています。今回、アンケートなどで、「初めて参加して」「印象が」といった言葉が並んでいるのを見て、ああ、やっぱりそうだよなぁ、と思うわけです。こういうところに来たい、近いうちに、発表する側の立場で、と、そこまででなくても、それなりに思ってくれたのではないかと思います。いわゆる、Early Exposureでしょうか。
一つ、大きかったのは、引率役に、大学院生をあてることができたこと。これは、脳科学若手の会を中心とする方々の御協力あってのことですが、これが本当に、参加した高校生が何かを尋ねやすくもなり、身近に感じられもし。このデザインができたことが、自分としては最大の成功だったんだろうなぁと思います。
そして。
ここはちょっと、こちらの想像も入るのですが、引率してくれた大学院生の方々にとっても、相当に意味の大きなことだったのではないか、と思います。有名な教育効果のピラミッド(Learning pyramidで御検索下さい)ではないですが、ヒトに教える、案内する、というのは、理解を最も深くする手段、ということもありますが、それよりも何よりも、案内することで何かに触れてくれたのではないかと思うのです。もちろん、山中先生やDr Svobodaと少人数で接する機会を得た、ということもあるでしょう。高校生と半日一緒にいて、そう言えば、自分はなんで大学院に進もうとしたのだろう、というようなことも、何となく考えて、きらきらと見上げる視線で接するもっと若い人々の目に、自分がどう映っているかを意識したのではないかなぁと思います。一つ、Recollectionとして。
もう一つ。ここはちょっと笑っちゃったのですが、17日、最終日の土曜日、あと数時間で展示も終了というタイミングで。高校生たちの数グループが現れると、そろそろダラダラと座っていたり、ぼーっとしていた企業ブースの皆様が、彼らに自ら進み出て御説明下さいまして。高校生たちはどこをどう間違っても、企業ブースの製品のクライアントにはなり得ず、まあ、彼らが大学院に進むとして、5年後で、その頃には、その製品、あるかどうかすら怪しいですよね。それでも、非常に熱心に取り組んで下さって(別に予告もお願いもしていないのに)、何だか有難い、と共に、曖昧であっても「未来」とか「将来性」とかいうものが持つ、周囲を喚起する力みたいなものも感じました。
こういうこと、いろんな学会が横浜でやればいいかっていうとそういうよりも。多分、いろんな場所でできるといいんだろうなぁ、と思います。
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8 月 9th, 2011 by f_n
すっきりしない日が続きます。7月頭の、あの陽気が嘘のように。決して暑くないことはないのですが、毎日一度は、大雨の気配を嗅ぎ、必ずしもその通りにはならないものの、空を見上げる日が続きます。ちょっとした揺れに対して反応する自分にも似ています。
先月末に、トークイベントを開催しました。考えた末に実施したつもりでしたが、結果として、自分のパフォーマンスはいいものではなかった。いらして下さった人、出て頂いた人、一緒に準備してくれた人、手伝ってくれた人々いらっしゃることもあり、イベント全体を失敗だったとまでは申せません。が、それらの方々に、消化不良のものを見せつけてしまいました。力不足を思います。
企ては、自らの中の「負い目」と、あるいは、そして、外側に向かう「うらみ」と向き合うことでした。どう整理していいのかわからないまま、抱え続けています。苦しいので、何とかしたいという思いから考えた企画でしたが、それを解消する方向には行かなかった。原因を考えています。
イベントの成否そのものについて。こちらは、多くに、聞き手の技術論にも拠ります。これは、あまり書いて仕方のないこと(ほんとはそうでもないですが)なので、取りあえず、措きます。
このエントリーを書く前に、書きだそうとして、最初につけたタイトルが「負い目と、刃と」。
苦しいのを何とか解消しようと、と書きました。確かに、そういう思い。苦しいのは、恐らくにも多分にも、一種の「負い目」のせいです。3月の末に、消してしまったエントリーで書きました。
”多くの、遠くにいる人々は、事態に対して、ある種の罪悪感を抱いているように思います。そして、心底、被災地の人々の役に立ちたいと思っているように見えます。こちら側からはそれは、ある種、「そちらの事情」に見えてしまう。時に、真剣であればあるほどに。これは、一つの、本当に大きな断絶なのですが。”
これを書いた時には、仙台を、東北として被災地に含めて話をしていて、今は、中途半端に、沿岸部のどこやらを知ってしまっている身として、宙ぶらりんな立場で、4か月少し前に自分が宙づりにした言葉を、眺めています。「負い目」が「負い目」だけでなく、「うらみ」が混ざっているところから、次の苦しみが始まっています。
そろそろ率直に言えるようになってきましたが、非被災地に対する「うらみ」が募ってきていました。いまだあまり、ロジカルな言葉にならないのですが、やり場のないものでした。伝わる表現を探し続けています。個別具体的に色々あるにはありましたが、最終的に、“絶対的な被害者の立場に追いやられて整理されてしまっている感じ”でしょうか。
もちろん、自らが危険にさらされているわけでもないのに、まるで危険にさらされた人の代理であるかのように振る舞い、放射能について喧伝して、もっとリソースを割けと要求して、その結果、別のもっと深刻なところからリソースが奪われる可能性を顧みない人々に対して、怨嗟の感情を感じる、というのは強くあります。が、どうも、それだけではないし、それが主要というわけでもない。
今、少し、強い言葉で書きましたが、こういう怨嗟、に仮託したい何か、に目を向けないといけない。
どうも、自分は、怨嗟に「仮託したい何か」を怨嗟そのものと、負い目を刃と、混同していたのではないか、と気付くようになってきました。イベントの話に戻ってきました。
「負い目と、刃と」のタイトルに自らダメだしして、次に考えたのが「向き合うのか、向かうのか」。負い目に向き合うつもりになって刃を向けようとしている自分を思います。仙台という場所で、考えるならば、「負い目」には向き合わなくてはならないし、そして、それは、何かに仮託して「向けて」しまうには切れ味は鈍くとも重く響くものになってしまいます。
自分について言えば、「激甚被災地を前になにほどのこともできていない自分」をそのまま受け容れることが難しいことを考えるのに、中途半端に、自分自身がある程度被災したこと、を使ってしまっていたことをやめること。どちらも受けいれて、肯定すること。
「蜘蛛は網張る 私は私を肯定する」 (種田山頭火)
さて。
今日読み返すまで、忘れていましたが、4か月前に消してしまったエントリーは、先に引用した後、こう続けていました。
”こうした断然は、恐らく、そこかしこに、怒りを生んでしまい、そして哀しみしか生まないのです。
仕方のないことかも知れません。
お互いの間を隔ててしまう断絶を、埋めがたい断絶を、いきり立って埋めようとするのでも、青筋を立てて飛び越えようとするのではなく、なにか、そっと包み込むような何かができないかと思います。”
すっきり晴れなくても、それはそれでいいではないか。
空を見上げて、そう思えるようになってきました。
あと数日で、5カ月です。どうか、必ず一度、現地を、見に来て下さい。
どうやら、とんでもない、かつて経験したことのない長期戦です。
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6 月 14th, 2011 by f_n
確か国際センターで、チラシを見つけたのだけれど、どこをどう探してもウェブで見つからないイベント、おせっかいかも知れないけれど、ここにベタ打ちしてみる。しかし、ここまで、それなりに頑張った感じのするプログラム構成なのに、開催2週間をきって、ウェブ上でどこにも捜せないって、どういうものなのだろうか。関係者の方々、実はやっぱり広報したくない、ってこと、あったりするのかな・・・。だとしたら、僕がやってることはおせっかいもいいところだが。
2011年度「仙台歴史ミュージアムネットワーク」イベント
1.日時
(1) 6月25日(土)13時30分~16時30分
(2) 7月2日(土) 13時30分~16時30分
(3) 7月9日(土) 13時30分~16時30分
全日無料・申込不要
2.会場 仙台市博物館 ホール *「震災復興パネル展」(「仙台平野の歴史地震と津波」「仙台市博物館の四季」「支倉常長と国宝『慶長遣欧使節関係資料』」)開催中
6月25日(土)
13時半~14時半 仙台市博物館学芸員 坂田美咲さん 「震災復興パネル展(仙台平野の歴史地震と津波)の解説(仙台の震災の歴史及びその後の復興について歴意資料および最新のデータをもとに説明します。」
14時半~15時半 仙台城見聞館 文化財教諭 村上芳成さん「発掘調査をもとに仙台城跡の石垣修復について解説します」
15時半~16時半 仙台市歴史民俗資料館 館長 土岐山 武さん 「日本が大量消費時代を迎えるきっかけになった用具は意外なものでした。消費削減が大きな課題になっている今、私たちは先人たちから学べるものがたくさんあります。」
7月2日(土)
13時半~14時半 富沢遺跡保存館地底の森ミュージアム 学芸室長 渡部弘美さん 「旧石器時代の仙台の様子(人の土地利用など)について解説します。」
14時半~15時半 仙台市縄文の森広場 所長 田中則和さん 「今回の大震災では、縄文時代のムラの跡が見つかっている場所の被害は比較的軽微なようです。このことは縄文時代の土地利用について示唆しているところはないか、発掘調査のデータなどから考えてみます。
15時半~16時半 財団法人瑞鳳殿 学芸員 加藤寛さん 「墓所としての瑞鳳殿の変化(明治維新・廃仏毀釈や仙台空襲や今回の震災を乗り越えてきた瑞鳳殿の姿を伝えます。)」
7月9日(土)
13時半~14時半 仙台文学館 学芸室長 赤間亜生さん「『方丈記』『平家物語』などの古典文学をはじめ芥川龍之介・志賀直哉など近代の作家たちの文章に残された震災の記述を取り上げ、あまたの災厄の中を生きてきた先人の心をたどります。」
14時半~15時半 仙台市戦災復興記念館 戦争体験 語り部 「仙台の戦災復興の苦心や思いを戦争体験者の語り部の方が話します。この震災を乗り切るヒントを得ればと思います。
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5 月 2nd, 2011 by f_n
先週の木曜日に、本当に久しぶりに、東京に行きました。5月末に東京で準備しているイベントの予行とか、あるいは、色々の用事を済ませつつ、ちょっとイベントにも顔を出し。行商人、と称して、仙台近辺と、そして、福島の食品を、両手で持てる限り持って、行きました。一部は、お土産でしたが、ほとんどを、夕方のイベントの参加者の人々に売り付けました。当初、生鮮食料品、福島のイチゴは嫌がられるかと思ったのですが、50人くらいの会場で、4パック、あっさりなくなりました。ほかに、大船渡・かもめの玉子、仙台・萩の月、石巻・白謙の笹かま、福島・薄皮饅頭など。相当な数、重たい思いをして持って行った甲斐がありました。頂いた対価を元手に、またやろうと思います。
さて、4月の半ばに出版された瀬名さんの新作「世界一敷居が低い 最新医学教室」、御恵贈感謝申し上げます。これ、仙台圏を地震後に出たら、その時から読み始めよう、なんて思っていたら、ちょっと時間がたっちゃいました。
まず、最初の感想が、前書きに、「夕刊フジ」の医療健康欄に連載、ってあったから、え、あの夕刊紙、医療健康欄と名乗るスペースがあったのか!とか、瀬名さん、夕刊フジ!、そう言えば、おっしゃっていたような、とか、なんとも、御本人には言えない申し訳ないことばかり浮かんできましたが。それはそうと、この文字数で、こういうものを、このくらいわかりやすくまとめきることが、どんだけ大変か、と、身に沁みて思うので、まずは、そこを、流石だなぁ、と思いました。
こういうもの、というのは、かなり先端を走っている、科学というか、技術、というか(最近、科学と技術を分けて論じることを推奨する向きもありますが、それはそれでわかりますが、一方で、わかるから作れる、できることでわかる、というような、混淆として、眺める角度によってどっちとも取れる領域があることも事実と思います)。本当に限られた字数の中で、何をどのようにした結果、何ができて、それが何を変えるのか、を漏らさず且つ難解さに逃げずに落とし込んでいます。90編からなるのですが、10編くらい読んだ時点で、なんか、職人的な感じもするなぁ、と。
僕は、タイトル見て、あれ、瀬名さん、臨床方面も?、と思いました。最新って言葉が、どうも、実時間として現在、っていう感覚を想起したのかな。で、あれ?っと。監修、八代さんってことだと、ますます、あれ?、と思って、ちょっと読んで、ああ、なるほど、それを、最新、と呼んだのね、と。しかし、これ、結構、取材大変でしたね、毎週これをやったわけですよね・・・ 本気で病気と向き合おうと思って読むタイプの本ではありませんが、ああ、なんか、こういう未来もあるのかも知れない、と想像して頂くことで、なんだかポジティブなメッセージの本。
そう、ここ数年で僕が読んでる、エヴリブレスにしても、大空の夢にしても、今回のも、インフルエンザ21世紀も、何だか、ポジティブで、そう言えば、まがまがしさがちょっとあった、イヴとだいぶ違う(って、あれはホラーなのよね)。これ、瀬名さんが、挑んでいることの一つなんだと思います。不気味さを煽るのって、むしろたやすい。だから、挑まなくちゃいけないのかも知れないけれど。
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4 月 17th, 2011 by f_n
16年前に、友人と共に数日、神戸に行ったのは、ちょうど2月20日前後でした。1か月と少し。今の時分と対称をなします。記憶が不確かなんですが、市役所だったか図書館だったかに雑魚寝させてもらって、物資の仕分けと、炊き出しの裏方をやったのを覚えています。あの時、1か月経って、神戸の中心街では、店が開き始めていた。今の仙台の中心部は、もう、あらかた開いています。今回の特徴は、被災地では、という言葉が、あまりに多様さを示していること。仙台、とひとくちに言っても、仙台駅から10kmも行かないところでは、まだ、1か月前からほとんど変わらない状態だったりします。
東北大学の被害が全体でいくら、というようなニュースが出るようになりました。同じ大学でも、市の中心部から主要なものだけで5つのキャンパス、様相は全くことなります。そして、キャンパスの中でも、建物によって様相が全く異なり、更に、フロアによって、相当に異なります。お互いの状況をおしはかることをとても難しくさせています。
転居を余儀なくされている人々がいます。沿岸部もそうですし、放射線の影響の地域もそうです。都会で育ち、転居を繰り返した人間には、私もそうですが、なかなか、その辛さが理解できない。理解できずに語られる言説にも出会います。こうした土地の多くの人にとって、土地は生活とイコールです。都会で育った人に想像するには、逆を想像しないといけないかも知れない。単に、転地する、というだけでなく、恐らくはデスクワークをしているその人に、今すぐその仕事を辞めて、第一次産業中心の土地に引っ越し、そこで、農業なり漁業なりを一からやりなさい、と言われたら、どう思うか。すぐに決断できるか。
あるいは、住む場所、生業を実質的に失ったけれど、家族だけはなんとか命をとりとめた方々がいます。話を聞く人は、つい、口をすべらせます。「命だけでも助かってよかったね」、と。そうした言葉は深く深く、傷つけます。そして、正直な人は、即座に、「何がわかる。死んだ方がマシだった」とつかみかかるような反応を返す。その立場を想像できるかどうか。
大変な人たちがいる、と、漠然と受け止めるのではなく、なにか、いくつかのフォーカスを持つことを考えます。
個別具体的に、状況を設定して想像することで、そこから演繹していく。
リアリティを持つ、一つの方法です。
僕が仙台でなくしてしまっているリアリティは、全国的な問題とか、国際的な視座とか、でしょうか。
いまだに、原子力発電所の問題が、健康の問題に限って言えば(経済、外交、安全保障、エネルギー政策などは措いて)、30km圏外の人が強く反応する感覚を、なかなか共有できません。地震と津波によって命を落とされた方の数が、安否不明の方の数を合わせなくても、チェルノブイリが原因でなくなったとされる方の数(IAEAの報告をとれば、4000人ないし9000人)を上回ってしまっている、ということもあって、どうしても事の軽重の扱われ方が違うような感覚は、いまだにあるのです。
東京で暮らし続けている自分、という想像も持たないといけない、とも考えます。
断絶を超えていかないと、以前は、書いたのですが、どうも、やっぱり、いろんなところで広がってしまっているのを感じます。
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4 月 13th, 2011 by f_n
数日前に、このポスターをつくっていて、やっぱり、最終消費者志向で考えようとするのと、普段の理系の思考とで、まったく向きが違うんです。
http://www2.atword.jp/science/2011/04/06/
まず、大事なことは、危ないかどうか。放射能とかっていうのは、放射線が出てDNAを切るから危ないわけです。そこで、対策しないといけない、浴びないように。そこから入るわけです。
そうすると、「放射線」っていう概念は、実に混乱した概念なのです。
紙一枚で遮ることができるのも放射線、コンクリの壁をある程度つきぬけちゃうのも放射線。種類が違うったって、ねえ。
見えない光です、って片付けちゃおうとしたら、粒子もありますって。いや、まあ、そうなんだけどさ。
その辺で、ぐちゃぐちゃになります。
で、結局、整理としては、内部被ばくと外部被ばくは、明確に対策が違うから、分けて、それを分ける理由について、ああ、だからなのかな、とおおよその理解ができて行動に応用ができるところまで、絵解きしていこう、と。
対して、理系の説明は、向きが反対です。 最初に、あるのは、不安定な原子です。 それが崩壊するときに出すのが、どんな形をとるか、が、核種によって違うから、説明が通りやすい。説明がツリー構造になる。上記の説明では“実に混乱した概念”だった「放射線」が、結構クリアになる。
しかし、ここから始まると、いつになったら、「どうすればいいのか」に辿り着くかわからなくって、途中で苛立たしくなって聴けなくなるんですよね。大事なことにたどりつかない。
方向が違うものなので、間を埋める、というような、そういう種類の作業とは、ちょっと違いますね。
さて、やらねばならないことは毎日、変わっています。 ニーズは細分化しています。 大きなメディアではこぼれてしまうもの、本当に多くなっています。目立たなくとも、拾えるものを少しずつ拾っています。
先につくったポスターにしても、メディアの方に、「一人でも多くの方に知ってもらいたいですね」と言われて、「いいえ」と答えるしかありませんでした。知って下さる方が多いにはこしたことはないといえば、それはある程度はその通りですが、そんなに簡単ではないのです。 「気をつけること」と書いたことを、文字通りに「気をつける」必要があるのは、かなり限られた地域に過ぎないことに「気をつけなくては」いけなかったりします。そうしないと要らぬ誤解や差別を生む遠因にもなりかねない。カスタマイズの必要性まで含めて、包括的に伝えることは本当に難しいことです。
あらゆる個別化していく事態の中に、次から次へとニッチが生まれます。
サイエンスコミュニケーターがどうとかっていう議論があるそうですが、議論を追う暇もなく、次から次へとできること、やれることが沸いて出てきているように感じています。
日々、追いかけています。
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4 月 12th, 2011 by f_n
1か月経ちました。雑感を記すときりがないのですが、正念場、これからです。ともかく、経済を回さないと、と思います。倒産が始まっています。これ以上は避けたいのです。被災地の中小企業に、どうか、仕事を!(って、ほかの地域も大変だと思いますが)
私の出自もあって、アカデミアの方で読んで下さる方、多いと思うので、これらの仕事をぜひ!
アイディア1
アカデミア発注の細かい仕事、カモン!
大学・研究所で発生する、リモートでできる細かい発注仕事、
・(デザインあがった後の)チラシ印刷
・招待状等発送事務
・テープ起こし
こういうの、僕に振ってくれれば、適正価格で、宮城の業者に振ったりできると思います。何しろ、今、仕事ないです(そのうち、つぶれる)。印刷は、今、慢性化しつつある紙不足がありますが、普通の紙なら。オフセット印刷も、震災を超えて、動き出しています。
新規の業者登録とか、面倒はあるだろうけれど、概ね、20万円以下の仕事なら、どうっちゅうことないでしょう?公的機関の事務手続きも。
まあ、僕の仕事は増えますが、ひょっとするとクオリティ、あげてみせたりますわ。週2-3件までなら行けるでしょう。
難なら、デザイン込みの仕事もありかな。ちょっとコミュニケーションの問題は出てくるけど。
アイディア2
アカデミアの小さい会議、カモン!
何しろ、いろいろ延期したり中止したりしましたよね?こういうの、どうにかしたい。
折しも、4月末くらいまでには、東北新幹線は戻る。
東京で予定していて、無期延期した会議、どうですかね、仙台開催。
(あるいは、なんなら、福島開催。これ、ベストかも。あるいは、会津若松)
5月になれば、今はひどい状況のホテルも、一気にあくと思う。
工事関係者が、少なくともライフライン関係は今月で、かなりメドがついてくるし。
会場の手配?ロジ?
そんな数じゃなければ、僕が何とかしますよ。
ロジは結構得意だから。
どうでしょうね、それほど、変な話じゃないでしょ?
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4 月 10th, 2011 by f_n
ここ数日で、アップしたポスターのおかげか、訪問される方が増えています。
有難うございます。
ただ、ここからが勝負です。
基本的に、ウェブで、こんな辺境のブログまで辿りつけた方は、強者です。
正直なところ、あんなポスターなんか、直接的には必要な方ではありません。
いろいろと御批判もあろうかと思うし、特に、最後の「気をつけること」は、とても気をつけて扱う必要があって、多くの場所では、あれらの行為は全く気をつける必要のない行為です。多くの場所って、ええ、福島原発から30km圏外のほとんどの地域。
それで、何が言いたいかと言うと、心ある方々、ここまでたどり着いたら、ぜひ、もう一歩。
ああいうものが、必要な方が、身の回りにいらっしゃいませんか。
このブログまでたどり着いた方々には、なかなか、遠い作業かも知れませんが、あれをプリントアウトして持って行き必要性を確かめるために話をして、そして貼るとかなんとか、そういう作業を経ないと、最終的には意味を持たないのです。
ウェブ上、ツイッターなんかで取り上げられること自体は、それはそれで一見いいことなんですが、最後の一歩が未完に終わったら、下手をすると騒ぎを大きくしただけで、効果としては、マイナスもあるかも知れないとも思うのです。
大変な一歩ですが、もう一歩。
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4 月 6th, 2011 by f_n
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4 月 6th, 2011 by f_n
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4 月 6th, 2011 by f_n
新聞もテレビも結構わかりづらいと思うんで、基本的なことですが、どっか(特に、ウェブアクセスできないような人が多いところ)にはったりできるようなポスターをつくってみました。
(修正してみました) 17:35
追記: 次とその次のエントリで、jpegの直貼りをしました。
因みに、こちら、Concept & Text by Fuji Nagami, Design & Illustration by Miho Kuriki です。
radiationillust2
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4 月 4th, 2011 by f_n
仙台中心部は日常が戻ってきました。スーパーマーケットは並ばずとも入れますし(もちろん、手に入らないものはあります)、バス路線は休日ダイヤで終バスが早いとは言え、ほとんどの路線が大丈夫です。今日、某メディアの方に、携帯つながるんですか?と訊かれました。沿岸部では、一部つながらない地域がまだかなりありますが、仙台中心部は、18日くらいから既に正常です。僕の地域ではガスはまだ戻りません。北部地域に応援に来ている関西のガス局の方が、宿泊場所を確保できずに、バスで寝泊まりされているという話を聞きました。どうか、多少、離れても、1時間かかる温泉地でも彼らが泊まれることを。往復の時間で作業時間が減って、復旧が1-2日延びたところで、今更、大差はありませんし。
断絶を包みこめるか、と書いた1週間くらい前のブログは、下げてしまいましたが、どうにも多くの方の気持ちを乱したようです。基本的には、激甚被災地とそれ以外、被災地と非被災地、その違いをどうやって乗り越えよう、という話のために書いたはずなのですが、どちらかと言うと、違いを強調してしまったようにとられてしまったことも多かったようです。確かに、違いを表現するのに、結構きつい言葉を使ったからか。
今、大きな違いは、原子力発電所の状況から来ています。福島の原子力発電所も、東京電力も、あるいは、それをめぐる永田町の方々も、毎日、何らかの新しいこと、をメディアに提供してしまいますから、どうしても、「ニュース」を生業とするメディアは、それを大きく取り上げてしまいます。
累積してしまった犠牲者数が、10000から12000になってしまうことが、18000を超える行方不明者の数が、毎日、100の単位でしか減らないことは、メディアにおいては、もはや、ニュースではないのでしょう。
メディアの扱い方が、そのまま、人々の関心を反映している、とは、もちろん、限りません。しかし、およそ、7対3、あるいは、8対2、下手をすると9対1になってしまう、原発関連の動きの扱いと、震災被害の扱いの差を見ると、胸が苦しくなります。人々が、置き去りにされ、おいてけぼりにされ、ないがしろにされているように感じるのです。インターネットでの情報を見ていると、メーリングリストを介して、ツイッターを介して、あるいは、多々ブログなどを介して、交わされている人々の言説もまた、それに拍車をかけるのです。もうちょっとどうにかしてくれ、という感情から、これを、犯罪的な状況、と某所に書いたら、お叱りを受けました。流石に、表現が過ぎたかも知れません。そうですね、大事なことが違ってしまっているのです。
仙台にいる人間は、特に中心部にいる人間は、もうそろそろ被災者ではありませんが、それでもなお、いま一つ、原子力発電所をめぐる一連のことの、関東や関西での受け止められ方がわかりきらないところがあります。怖かったり不安だったりするのは、それはそれでわからないではないのですが、80kmの仙台にいる人間が原子力発電所どうこうに対して、ろくに反応しないのに対して、もっと遠い人々がなにをどうしてなんだろう、と。
ガスがないとか、ガソリンがないとか、あるいは身近にもっと辛い人がいるとか、そういう通奏低音みたいなものが日常に多くないから、遠くの音がよく聞こえてしまうのかも知れません。あるいは、情報が多い分の不安もあるかも知れません。仙台の人間は、余震の方が怖いですから、放射能の長期的な影響の話はほとんど耳に入っていなかったりします。
何より地震直後は何もかもなくなった上に何の見通しもなかったですから、 状況は日に日に上向いています。明日はもっとよくなる、ちょっと我慢すればもっとよくなる、という、まだつらいなりに、「いい」状況もあるのです。対して、非被災地はむしろ、状況が刻一刻と悪化しているのでしょう。
終わりの来ない不安。
そう言えば、地震直後の夜に、ふるえながら真っ暗な中、ろうそくの光を見詰めながら、いつまで続くんだろう、と思ったのを思い出します。手持ちの食糧は食べれば食べるほど、減っていきます。状況は悪化していきそうに見えました。
ちょっと違うけれど、あの気持ちと近いのかな。
なんとかだいぶ、想像するよすがができてきました。
僕自身は相変わらず、仙台にいる限り、放射能や放射線の何が怖いか実感はできませんが、侵食されていく恐怖は理解できてきました。今まで、理解できていなかったけれど、今日一日考え続けて、すこしは近づいた気がします。
そして、原子力発電所から数キロ圏内 が最終所在地だった行方不明者のことを、一日一度、もしそれが自分の家族だったら、と想ってみることもしています。こちらは、想像力の埒外ですが、想像することだけならば。
長期戦がはじまりました。
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3 月 28th, 2011 by f_n
昨日のエントリは、公開を停止しました。
生んでしまった波紋の反射を、僕自身がまだ十分にうけきれない。
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