イメージをするのに文字をイメージするとイメージングがしっかり行えます。
イメージの中で文字を書くのですが、書道をしている時のように綺麗な文字をイメージで描く練習をするというのもイメージングをうまくする練習方法となります。
何を狙っているのかを明確にするということが大切だと書きましたが、一つの刺激がどういう経路を通って狙っているところに到達するのかということを正確にイメージすることで、効果が全く違うことに気づきます。経絡はそういうイメージの通り道をハッキリさせた流れともいえます。イメージングをしやすいように作られた流れと考えれば、古典に書かれている謎がとけたりするはずです。異なる診断図によって臓腑の状態を調べているのは、術者がどのようにしたらイメージングしやすいのかを示した図だからだと考えれば、疑問に思う必要もなくなります。
私が調べた経絡では、蛇行したり、太さが広くなったり狭くなったりしていました。経絡治療適応か奇経治療適応か経別治療適応かによって微妙に位置がズレていたのですが、こういう様態をイメージングしなければ、ただ経絡があるだけのように見えるかもわかりません。私の観察した蛇行性や幅の縮小拡大、様態による位置異常は異常経絡には明確にあらわれる現象であり、その経絡に含まれている穴が活性化(異常を示している)している時に幅の変化は顕著でした。個人的なイメージングなので、人が見たら違うかもわかりませんが、そういうイメージングがしっかりできているので、異常を見つけることが容易くなります。つまり、経絡は絶対的なものではなく、相対的なものであるとした方が、理解しやすいということを示しています。様々な条件が組み合わされば簡単に様相を変化させてしまうのです。だからこそ自分なりの明確なイメージングが必要だといえます。目的は異常を見つけることであり、経絡の存在の有無を議論することではありません。誰が正しいというものではないので、その人なりの条件に合った経絡の様相があらわれるということになります。臨床の上では何ら問題点はなく、十分効果があると認識しています。
経絡は個人的なものといっても、よくよく調べると決して大きな相違がある訳ではありません。トポロジー的発想で考えたドーナツとコーヒーコップが同一形状をしているということほど、見た目にかけ離れたものではないことが殆どです。しかし、それぐらいかけ離れていてもベースにあるものがしっかりしていれば、間違いではないということを私はいいたいのです。筋力検査によって意図しない反応がでてきても、それを認め、その反応が何故意図しない場所にでてきたのかを追求することも経絡や穴を解明する方法だといえるということなのです。
文字を書くイメージをするというのが題材でしたが、イメージングをするうえで何故こういうことをする必要があるのかというと、筋力検査でわかる反応は目に見えるものばかりではないということがあるからです。例えば「神界」なんて誰も見たことがありません。しかし言葉や文字が存在している以上、それは一つのエネルギーとして活性化しているといえます。信じる信じないはどうでも良いのです。言葉によって反応する部位があるならそれを認めるべきだと私は考えています。鍼灸の中で、こういうことを問題にするのはタブーとされているかもわかりませんが、言葉として反応があるなら私は筋力検査の結果を尊重します。そしてそれを除去するなり、活性化させるなりの方法があり、そうすることで身体が楽になったという事実があるなら嘘であるのか本当であるのかは大した問題ではないのです。理想や想像で物事をすすめても前にはすすみません。色んな方法を行ったが、うまくいかないという時にそういう言葉をイメージとして肉体に投射し、その答えが緊張しているなら、それを除去すべきだろうと思います。基本的に私は無神論者であり、宗教家でもありません。どちらかといえば現実主義者ですが、医療がイメージや雰囲気といった訳のわからないものに対峙し、それをどうすることもできないといった状況になった時、イメージがそれを解決してくれるなら何の迷いもなく、それを行うということです。今の世の中には必要不可欠な考え方だと私は思います。それ程現代人はイメージに敏感になっているのです。イメージが原因で病気になったのならイメージでしか治せないだろうと思います。
目に見えないイメージを明確にさせる方法が字を書くイメージをすることといえます。文字なら目に見えなくてもイメージできます。文字にはエネルギーがあり、その文字を使って身体を操作することが可能ならそれを使えば良いことなのです。筋力検査はそういう検査法であり、物質的なものだけを検査する方法ではないということを知っていて貰いたいと思います。