中立の状態とはどんな状態でしょうか?
一つの異常点において反応がなくなった状態は全体にとって優位な状態とはいいきれません。部分と全体がうまく兼ね合い、全体的に中立という状態でないと真気は活性しないのではないかと思います。
ただ、ある程度症状を緩和させるというのが、私達の仕事ですので、症状をその日のうちに変化させることができなければ、次にはつながりません。
反応がなくなれば、確かに痛みや症状は消えます。しかし、それが全身に与える影響も大きい場合があり、治療後しんどくなったという話はよく聞きます。まあそれはそれとして、バランスをとろうとしている状態ですので、決して悪い状態だとはいえませんが、ある程度真気を損なうことは間違いないでしょう。
そうすると元々、真気が少ない人の場合、真気を損ないすぎると、治療後にしんどさが大きくなりすぎることも予測されます。 治療過誤、治療のやり過ぎというのにも気をつけなければなりません。ただ、体力が大きく低下している人を除いて、普通の充実度なら、そんなに神経質になる必要もありません。
現代社会で栄養状態が不足しているような人は、あまりいないからです。どちらかというと栄養過多になり、邪実の状態の人や反応が多くみられます。虚損状態の人は、あまりみかけないのが現状です。それでも太っていて栄養状態が良いように見えて、意外に虚証の人もありますので、虚実の判定を明確にしていないとなかなか、その判断を行うことはできないかもわかりませんね。
我々が調整に困るのは、どこを最初に調整すれば良いかという問題があります。症状が出て明確になっている人は、そこを一つの調整点と考えれば良いでしょうが、どこがということもなしに調子が悪いという場合、どこを最初に狙って治療をしていけば良いでしょうか?
また痛みの激しかった人が緩解してきた場合、前回行った治療と同じ治療をしても効果は全くないか、少ない効果しか得られないという場合があります。そして本人は、だいたいの症状がとれたが、まだ残っているというような症状を訴えます。
こういう場合、どこをどう狙っていったら良いのかという疑問にぶちあたります。実はここからが術者のふところの深さが物をいうのです。
こういう場合、まずは気の診断で全体をスクリーニングすることをお勧め致します。
全体の中で、何が一番治療をする異常反応点となりうるか、ということを考えて反応をみなければなりません。つまり症状はどこにあってもそれを調整することが一つのきっかけになるということです。症状のあるところが微妙に残るという場合の治療にも、どこが一番重要な異常反応点となりうるのかというイメージングはとても重要です。このイメージングがないとどうやって治療をしていって良いのかがわからなくなってしまいます。
この場合、体表面から離れた場所をイメージングして、その異常反応の背が高いところを中心に考えていっても良いと思います。体表面から体外へ流出しているような異常反応点を見つけ出し、その最大値のところを調整するということが重要です。最大になっている反応点とつながっている体表面は、全体的にまず最初に狙わなければならない異常反応点だといえるからです。この反応点は、治療が終わると一気に小さくなってしまいます。しかし、その反応が小さくなると同時にまた違うところがあらわれてくるという現象が起こります。これは今までわからなかった反応点であり、最初の時点では予測できなかった反応点です。

もぐら叩きのような現象が起こるのですが、必ずその反応は、最初の反応より範囲が小さくなるか背がひくくなっています。バランスをとるということはバランスを崩した飛行機がバランスを立て直そうとして左右に翼を振っている状態とよく似ています。異常反応が大きければ大きいほど、その傾きは大きくなるのが普通です。バランスは何かと何かの比較がなければなりません。ここでいうバランスは経気の距離のバランスともいえるものです。もちろん、この現象によって関節の可動域や筋緊張も変わります。異常経気のある場所の筋肉や関節は必ず可動域が狭くなっていたり片寄っていたりします。様々な理論も必ず現象が伴わなければ何の意味もありません。異常経気があり、関節可動域や筋緊張がなければ、肉体に変化を及ぼす経気ではないと考えた方が良いと思います。
瞑眩反応もそのような形ででてくることが多いので、一概に瞑眩反応を起こさないように調整しようとしても難しいこともあります。特に邪実の強い場合、平衡を取り戻すには時間が必要なことも多いので、邪実が大きい場合、瞑眩を全く起こさないで、治療をするということは本来難しいことかもわかりません。真気虚損で邪実が大きく、異常反応点の範囲が広ければその影響も大きいと考えられます。異常反応が広いということは、それだけ全身に与える影響も大きいと考えられます。一旦、その異常反応が消去された場合、身体のあちこちに今までなかった反応が出現してくることが予測されるからです。
つまり病態も一つの異常反応があることで、他の異常反応が隠れていて、それが裏側に入ることで何とか中立を保っていると考えると非常にわかりやすく、臨床的にもマッチします。
臨床の現場ではこれだけのことを瞬時に考える能力が求められますが、こういう考えを巡らす訓練を続けていると、症状のあるところだけ治療すれば良いという考え方がいかに、あさはかで、幼稚かがよくわかりますね。これだけ考えを巡らしても、なかなかバランスが取れにくい人もいるのですから、肩凝りの薬で肩凝りが楽になるとか、痛みがあるから痛み止めを飲んだら良いとか、精神的に不安定だから安定剤を飲み、眠れないから睡眠薬を飲むということが単純で馬鹿げたことです。それでもそういう人が後をたたないのは、考えようとする能力が欠如しているからでしょう。そしてそれを他の人のせいにしたがる訳ですから、始末が悪いですね。
そんな方法が社会的には一番重要で科学的な方法だなどと吹聴する人が殆どなのですから、いつから自分の感覚を大事に考えられなくなったのか、不思議で仕方がありません。まあ昔から世につられる人が大半ですから、今の人だけではないと思いますが・・・。
今は情報を集めようと思えば、様々な手段があり、自分で選択する能力さえあれば、何が正しいかはすぐにわかります。それでもそれをせず、漫然と暮らそうと思えば、そういう暮らしもできます。楽な暮らしに流れるのも仕方のない話ですが、それでは何かが足らないと思う人が精神的な病を起こすのでしょうね。精神的な病を起こす人は、敏感な人で、それに気づく方法を知らないだけかもわかりません。そしてそれは誰しも起こることです。私自身にも起こることでもあります。注意していないと突然やってきてビックリしても何が起こっているのか全くわからないという状態になるので、余計に焦ってしまうのでしょう。そこにこれを飲んだら楽になるよといわれて、飲んでみると神経を遮断する薬なので一次的に楽になったかのように思ったりします。そこからが悲劇のはじまりですね。感覚が遮断され続けて、何が異常で何が異常でないか本人はわからない状態になってしまったりします。
感覚を鈍らせれば鈍らせる程、そのツケは後からまわってくると思います。死ぬまでには、もっともっと感覚を研ぎ澄ませて、より敏感になっていく努力をしていないと我々もいつ襲われるかもわからない現代病だと思います。
生死をさまよう思いをしていれば、そういうこともないでしょうが、平和なので、平和が人間の精神を蝕んでいくのでしょう。もちろん平和は大事なことです。戦争は反対です。しかし、そのためには人間がもっともっと敏感にならないといけないと私は思います。
そのためには、いつもそこに死は存在するということを意識していないといけないのだと感じます。
中立の話から大きくそれましたが、中立を保つことはとても難しく、簡単に症状だけなくせばバランスのとれた状態になると考えるのは間違いです。
気の診断によって、最初に大きな反応を消去することは、症状のあるなしにかかわらず、身体を中立にするために必要不可欠な方法だといえます。症状に惑わされないということがとても重要ですし、大きな反応と小さな反応を効率よく消去していくことで中立がどんな状態なのかを肌で感じ取ることができるようになります。
これだけは教えて教えられることではなく、肌で感じることです。気の診断や方法は教えられても、こういうものは経験を通してしか決して学ぶことはありません。