Archive for 1 月, 2010
古利根川沿いを歩く(ガッタの渡し)
紺屋の渡しがあった付近から少し行くと、右手に小さな公園があります。

子どもの遊具がある簡素なものですが小休止することが出来ます。

子どもたちが遊んだり、地域の人が花見の宴を開いたり、生活と密着した公園です。

公園を後にして先に進みましょう。

この付近の川岸では釣り糸をたらした人の姿が多く見られます。絶好の釣り場なのだそうです。

ところで、前回、宮東橋から下流には宮代町内では古利根川に架かる橋はないとかきましたが、実は、江戸時代後期には橋があったのだそうです。

宮代町郷土資料館による「平成21年度第1回企画展 みやしろ歩け歩け」(当連載では「歩け歩け」と記させてもらっています)によると「江戸時代後期、ガッタの渡しがあったとされる場所には板橋が掛けられていたことがわかっています。しかし、明治期になると橋がなくなり、代わりに渡し場が設けられたようです。経営は島村家が行ない、舟賃二銭、幸手不動院や小渕観音の参拝者が多く利用したそうです。」

それにしても「ガッタ」とは・・・。
「渡しの名前の由来は、渡しになる前の橋が渡るときに途中まで進むとガタガタしたため、ガッタラ橋と呼ばれていたことからであると伝えられています。この渡しは「フジの渡し」とも呼ばれ、対岸の春日部市側を「カンスケの渡し」といいました。」(「歩け歩け」より)
ガタガタだったから「ガッタ」。納得です。
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古利根川沿いを歩く(紺屋の渡し)
宮東橋からさらに下流に向かって歩を進めます。

これからの遊歩道は古利根川の流れと共に、川岸の草花が美しいところです。
ただ、今は冬。現在は花の姿を見ることは出来ません。春になるのが待ち遠しい感じです。

川の流れに目をやりながら進むのですが、これから下流、宮代町内で古利根川にかかる橋はありません。
では、古利根川を渡る手段は・・・・・。

舟?
現在はその必要はありませんが、昔は・・・・。
先の宮東橋に矢島の渡しがあったように・・・。

宮東橋から850mほど、現在はその痕跡を探すことも難しいようですが、「紺屋の渡し」という渡しがあったようです。

遊歩道沿いにある数軒の人家が途切れる辺り、ここから対岸に渡しが行われていた。

「紺屋の渡しは明治期から行なわれていたものと思われますが、定かではありません。昭和26・27 年ごろまで行なわれていたそうです」(「歩け歩け」より)

「藍染めなどの染め物を行なう紺屋を生業としていた成田家が経営していたことから、紺屋の渡しと呼ばれました。一日に平均10 人くらいの人を運んでいたそうですが、矢島の渡しと同様、終戦後の最盛期には買い出しの人などを大勢渡したそうです。その利用者の多くが姫宮駅を利用するためだったようです。運行時刻は定めず、頼まれた時に舟を出し、その舟賃は戦前で2 銭、戦後は5 銭であったそうです」(「歩け歩け」より)

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