アルフレッド・キンゼイ(セクソロジスト)の言葉
 「自慰への抑圧は、全てのセクシュアリティへの抑圧である。」
 「我々の社会的な関心と法律が、彼らを成人と認めるよりも数年早く、生物学的には成人になっているということを見失っている。」
 「彼が大人になったなというそれよりも早く、性的な大人になっていることを見失っている。」
 「十代の青年の成熟した能力を認めなくなったのは、実は比較的最近であったということが分かった。前世紀には、青年は最大の性的能力を持つものであると理解されていたので、文学の偉大な作品に出てくる男女の恋愛はほとんど全部十代である。たとえば、エロイーズはアベラールと恋に陥ったのは18歳。トリスタンがイゾルデに会ったのは19歳、ロミオが恋したジュリエットは14歳。こうやって、偉大なる恋人たちは全部、未成熟の青年たちの恋愛であった。
 そこでこんなことを考えた場合に、不良青少年が増えたのは、年長者が青少年の性的能力を認めなかったからである。昔も今も実は青少年は変わらないのだ。」

高橋 鐵(戦後、山本宣治氏の跡を受け継いで活躍)の言葉
 「これまでの姦通罪と堕胎罪のみで監視され、抑圧こそ性だと言ってきた態の性ではなく、私のいう人性の性としての性の情動、性の心理的側面にもふれて、これまでの禁忌とされてきた性の快美感というものにも、正しく明朗にふれなければ男性(男子)に性への労りを教えることもできず、女性(女子)に抑圧の惨さとそのための堕落を回避させることもできない。」
 「日本人という日本人は性の常識をほとんど持たない。否、知らされなかった。親も教師も政治家も医者も、口を拭って教えなかった。そして、ムッツリ助平の実践のみ。たまに敢然と性を人に教えようとする者があると殺されてしまった。日本人が一生に得る性知識といえば、およそ戦慄すべきものだ。怪しげな猥談、ガリ版刷りの“生殖器図解”、Y本、ヒソヒソとニタニタと囁きあわらるいわゆる“体験談”、娼婦が男へ、そして男が女へとつたえる秘技、これがすべてだった。かくて、青年は卑しくなり少女はたやすく堕落するようになり、人妻の多くは冷感症となった。過剰人口と性病が巷にみちあふれ、性から逃げる人々は偽善者になり、神経症となり、ついには氷のように冷酷残忍の道徳家となった。」
 「異性愛に関して、常識的には精神的・肉体的と分けたりするが、本来は精神の接触という意味に解するべきで、いかに『精神的』な愛情でも、究極的には、肉体を全精神の象徴として接触しようとする衝動が発生するのである。と同時に『肉体的』な愛情というものに、もしも『精神的』な喜びがこもっていなければ、それはたしかに動物の交尾や排泄と全く変わりない生理的作用と言わざるを得ない。」
 「性の喜びは技術ではない、内なるもう一人の自分との出会いである。」
 「性器は自分への愛情(自己愛)のもとである。」

山本 宣治(私の性教育の原点でもあり師匠でもある)の言葉
 「公平な生物学的智識の教えるところによれば、両性は質の違いであり量の差ではない。すなわち、男女に優劣はない。唯双方互になくては立行かぬ一半、この半人前を二つ合わせて初めて人間一対が出来る次第である。所で本来優劣が無いのだから、今までのように征服者対奴隷、あるいは主人対下女、あるいは飼主対家畜の如き一種の脅迫的主従関係は、これまで女性をまみした男性文化の中に於いてこそ存立しはしたが、将来解放されるべき全人間の社会に於いては全然不合理のものであり、従がって自然消滅をなすべき運命を有するものと見るほかはない。」
 「処女の物的証拠たる処女膜のみ偏重する事はその時代の病的特徴だと見ていい。処女、処女という男子青年も愛人に捧げる童貞を守っているのか。このように処女膜がどこでも問題になるのは、元来今日までの文化が男によってもっぱら支配されていた結果で、いうまでもなく処女膜そのものの倫理的価値よりも、また生物学的意義よりも、男子の自分勝手の要求が大なる影響を及ぼしている。すなわちいつでも魁を争う男共の利己心の現れが婦人独特の領分たる彼女の肉体にまで及んだ次第。いいかえれば、その清純な女性を我物とした最初のものとして暴威をふるい、かつ又彼女と相語ろうた最初の男だという虚栄心を充たしたがるのだ。」
 「性教育の目標は真実の追究である。各人に性現象を広く諸方面から観察せしめ、特に之迄閑却されて居た人間的方面を示し、もって彼と彼の最愛の者の身辺に襲い掛らんとする不測の危険を未然に防ぐに十分な生物学的智識を授くるを旨とする。前項の目的がほぼ達せられた時、次に行うべき性教育は、盲目的本能を制御すべき理性自律の可能なる範囲を示し、以て自知、自敬、自制の力を養って、更に性現象の中特に人生の花とも見るべき高潮の美を味わう基礎となし、凡人としては自ら顧みて偽り無く生を楽しみ、進んでは世界同胞に奉仕し得るの余力を養わんとするを旨とする。」
 「欺く真理開明に始まり、善と美との『導出』を以て完成さるべき一般的性教育とは、彼の来世の人間改善を目的とする優生学の前提とすべき現世改善学の一部を構成し、応用生物学の一分科である。」
 「性教育は外からおっかぶせる事はできない。上よりの天降りも不可能だ。教えらるる人の理智の上に載せて蓋とする事もできない。性教育は、受ける人の心中に感応を起こして、彼自身の進歩発達する理智を働かせられるように彼に力を与え、彼に武器を与えねばならぬ。かくて彼自ら是非善悪の分別を弁えそして彼自身の理智の発達に貢献せねばならぬ。」
 「学徒彼自身の興味と要求とに適し且つそれ等を満足する時に限って、有効となる。危ない ! 危ない ! 急げ ! 急いで教えよ。斬新的性教育は好奇心を何時迄も保留し、焦燥と煩悶との中に彼等を彷徨せしむる危険がある。一挙『無知』の尾を根本より断ち切るに如かぬ。近時流行の低級雑誌の出鱈目生理学が非常に影響を与える。」
 「現在可能なる法とは、人格統冶とか思想善導とか申す慾張りは暫時やめておき、教訓抜きに唯純科学的性知識を十分に授ける事であるが、日本教育界の因襲を脱しさえすれば、此策の実行は至極容易なのだが、教育者と父兄自身のあたまが唯今のようだと之も中々実行困難である。」
 「これから私の扱うべき問題は、こう定義を下した『性』が社会大多数を占める健全無病な男女に於いて如何に現れるか、即ち常態性欲の研究である。」
 「狭い意味での性欲といえば、性交を促す衝動の現れ始めてから、性交、分娩、産児に至る前後の時の事のみを意味するように一般的に理解されて居り、そして又それが汚らわしいものだとして取り扱われている。併し私がいう『性』の現れは極く広い意味のもので、赤児から死ぬ迄の間、のべつ続く男らしさ、女らしさの全部をひきくるめたものである。そして今日我々の下す判断には随分偏見も交じり、又不合理な点も少なくないから、我々は性問題に関しては科学者の虚心坦懐な態度に倣い、出来る丈態度は白紙とし、きれい汚いの判断を暫時控えるようにすることが必要である。」
 「生殖を目的とせざる遊戯性交は『獣的』であるか絶対的の罪悪であるかについての此説の主張は糖分の所遊戯性交を行う事を一回も試みた事の無い人、否欺んな『罪悪』を犯した事の全然無い様な顔をして居る人に御任せして置くが、あらゆる両性の同棲生活が唯一生殖を目的とする合名会社だとすれば其れもよし、種馬種牛の交配を研究する様に人間性を認めない牧畜術と同様な優生学の主唱者が世にありとすれば彼は其れに賛するであろう。けれ共予は生物学者としても此説には賛成致し兼ねる。其れよりも人間として生殖許りが一生の唯一の事業だと考える事は蓋し交尾産卵を以て一生を終る多くの昆虫類と万物の霊長たる人類を同一視する冒瀆であろうと考える。此所では事実でなく意見解釈の事だから論議は他日に譲るが、人性に基づいた無理の無い社会を構成する為には生殖性交以外に遊戯性交が重大なる存在理由を過現未の三世に亙って有して居る事を断言して憚らない。」
 「私が此自慰と云う文字を用いるのは従来慣用した自瀆を用いて自然科学の問題に倫理的価値判断を加えると色々な不合理な場合に陥るからであって、普通の性交でも寧ろ其流に云えば互瀆と云わねばならぬ破目に陥る。抑々自慰とは自己の性的器官に機械的刺激を与え以て性交に類似した快感を受けんとする企てを云う。所で、男子に於いては此行為をして居るが、日本では従来之を行うと神経衰弱になるとか、精神病になるとか、陰茎が異常の変形をし螺旋状になるとか、或は近視眼になる、又は身長が延びない、或は延び過ぎる、或は久しく之を行って居ると終に性交不能になると云う様な事を申して居りますが、之が若し事実であれば此行為が普遍的に行われて来たのであるから、之等の害と云うものが誰にも洩れなく現れて来なければならぬ筈であるが、そうも行かぬ所を見るとどうも嘘であると考えなければならぬ。」

 ≪山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋しくはない。背後には大衆が支持しているから≫これは、彼の最期の言葉です。背後の大衆の一人である私や君達が闘わずして一体誰が闘うのでしょう。
 過去から学ばない者は、未来を拓くことができない。百年を経ても何ら変わらないこの日本の現状を知れば、この三名の素晴らしい男性はさぞ悔しく、そざ情けなく、さぞ無念に思うことでしょう。