インタビューを始めるにあたって




おそらく、関係者もほとんど忘れていると思いますが、今年2011年は、「オールロマンス事件」(オールロマンス闘争)から60年目となる節目の年です。ほとんどすべての部落問題の概説書において、事件(闘争)は、戦後の部落解放運動と同和行政の出発点であり、その後においても大きな影響を及ぼしたといった位置づけで語られているはずです。

そこで、改めて、部落問題は今どうなっており、どう取り組むべきなのか、あるいはそもそも部落とは部落問題とは何なのか(何だったのか)、どこでどう間違えて行政も運動も迷走状態に入ってしまったのかといった基本テーマに、再度目を向けてみたいと思い、様々な方々の話を聞いてみようと思い立ちました。

わたしが同和行政と解放運動に関する取材を始めたのが、1993年頃からですので、今年で18年ほどになります。その間、かつて乱脈を極めた同和行政だと指摘してきた自治体においても、事態は変わりつつあり、問題は終息に向かっていると見てよいでしょう。

もちろん、いまだ旧態依然とした同和事業、解放運動に取り組んでいたり、一見終息に向かうと見せながら、また新たな課題を抱え込んでしまった地域もあるようです。該当自治体の市民がこれをどう考えるかにかかっているとはいえ、そんな事態がこの先いつまでも続くとは思えません。大勢は決していると思います。

変化ということでいうと、とくに、おもな取材の対象としてきた京都市で顕著です。ここらで一度、わたし自身がこれまでやって来たことを見直す意味でも、上のような基本テーマに目を向けるには、ちょうどいい時期であるといえましょう。

これまでのわたしの取材の力点といえば、その時点時点においての同和事業や運動が持つ問題点の指摘にありました。そのさなかにおいて、引っかかりを覚えながらもあいまいにしてきた事柄、やり残してしまった事柄もありました。この際、これらについても納得のいく検証をしてみたいという思いもあります。

形を変えて33年間も続いた同和対策特別法が2002年3月で完全に失効し、また、それ以後解放運動や同和事業が抱えていた矛盾が、広く知れわたるようになりました。長い目で見れば、歓迎すべきことです。

一方、解放運動や同和行政・事業が社会にもたらした功罪についてあいまいにしたまま、とにかく「同和」の名のつくものはやめてしまえばそれで万事解決、あるいはいつまでも「同和」のことでガタガタ論じても意味がないといった風潮が色濃くなってきているようです。

〈オールロマンス〉の意味、そこに込められた熱情、使命感、あるいはいかさまぶりにも立ち戻りながら、今改めて基本テーマに取り組むこの作業によって、単に寺園の「個人総括」にとどまらず、部落問題にはいまだ語るべき問題があり、未決着・未解決の課題も残されているということを示すことができるのではともくろんでいます。

2011年3月
フリーライター 寺園敦史

〈オールロマンス〉から考える もくじへ戻る

 
ホットワード インタビュー 関係 ど忘れ オールロマンス事件
割引クーポンまとめ情報 - クー割