熊代(くましろ)昭彦さんという官僚をご存じでしょうか。正確には元官僚ですが。1985年から87年にかけて総務庁地域改善対策室長、つまり国の同和対策事業を担当する部署の責任者を務められた人物です。
この時期の国の同和対策事業は大きな曲がり角を迎えていました。
地対法が失効し、最後の特別法となった地対財特法が施行されたのは1987年4月です。また、民間運動団体(名指しこそしないもののおもに部落解放同盟のこと)の行き過ぎた差別糾弾闘争を批判した地対協基本問題検討部会「報告書」と、多くの自治体の同和行政に見られる課題、それによって生み出される弊害についてかなり大胆に指摘した地対協「意見具申」(いわゆる「同和脱税」問題についてまで言及している)がまとめられたのが、それぞれ1986年8月と同年12月です。いずれも熊代氏が地対室長在任中のことでした。
なぜ四半世紀近く前の官僚の話をするのかといいますと、今日(2011年11月2日)午前中、大阪高裁第三民事部で開かれた京都市同和奨学金返済免除問題での住民訴訟の弁論で、わたしたち原告(控訴人)は証拠として、熊代さんの意見陳述書を提出してきたからです。
京都市の同和奨学金問題については、市民ウォッチャー・京都の住民訴訟は続いていましてね。それで昨年以来、必要があって過去の同和業対策事業にかかわる政府文書類を研究・分析することになったのです。そのなかで、1986年の部会「報告書」、「意見具申」を改めて読み直すことになりました。同和奨学金(高校生対象分)が給付制から貸与制に転換したのも地対財特法(1987年4月)からのことなんです。
驚かされました。今日に至ってもいまだ少なくない自治体の行政が引きずっている同和行政にかかわる不正常な現状について、この時点で的確に指摘していたからです。「地対協はここまで言ってくれていたのか。なぜ自治体はこの提起をまともに受け止めようとしなかったのか」「この『意見具申』を根拠に京都市に要求できることはいくらでもあったではないか」と、なんだか悔しい思いにさせられる文書です。
そしてそれらは、京都市の同和奨学金問題の裁判においても、われわれの主張の正当性の根拠となる内容でもあるのです。そこで当時の地対協の事務方の責任者であった熊代さんに、ぜひとも裁判所に陳述書を提出していただくようお願いしたのです。熊代さんはすぐに快諾してくださり、今年9月、お住まいの岡山市内でお会いし、陳述書の元となるインタビューをわたしが担当して行いました。
合理性がないだけでなく、これは人間の誇りの問題でもあると、私自身は考えていました。すなわち、将来、経済的に自立したときは、他の奨学金を借りた人と同じように必ず返還すると胸を張る方が、人間としてはるかに誇り高く、立派な生き方であると思うからです。たしかに、金は借りるよりももらうほうがとくだと誰しも考えるものでしょうが、運動団体として差別解消をめざすのなら、そんな目先の利益よりも歯を食いしばって誇り高い道を選んでもらいたいというのが、この問題についての私の持論でした。
同和奨学金貸与化の決断は、熊代さん個人としてはこのように考えた結果だったとインタビューで答えられました。
熊代さんの陳述書全文を下記にアップロードしました。1980年代半ば、政府の官僚のひとりはこのようなことを考え、同和行政にのぞんでいたということを知るのも意味のあることだと思います。
●京都市同和奨学金返済免除事件での熊代昭彦意見陳述書
なお、熊代さんは地域改善対策室長異動後、いくつかの部署を経て、1993年から2005年まで衆議院議員(自民党所属)を務め、その後出身地の岡山市長選挙、参議院選挙に立候補したもののいずれも落選。今年5月からは岡山市会議員として活動されています。
くましろ昭彦ホームページ
http://kumashiro-akihiko.com/