「記憶は事後つくられる」──たとえば、ある事件に遭遇したその人が語る事件に関する記憶というものは、そのとき実際に体験、見聞きしたことの再現でなく、さまざまな事実の断片、思い込み、偏見、あるいは聞き手の誘導などによって新しく再構成される面を有している、といわれています。心理学ではよく知られた現象だそうです。
寺園が心理学のことなんか関心を持っているのかと、いぶかる方もおられるかもしれません。実はわたくし、数年前までJapanSkeptics(ジャパンスケプティクス)という、一風変わった学会の役員をやっていたのです。「記憶」が再構成される話は、学会に所属する心理学者から教えてもらいました。
現在発売中の月刊誌『ねっとわーく京都』2010年1月号掲載の「住民訴訟の備え『みやこ互助会』は誰のために」(真野幸一)という記事を読んで、不意にそのことを思い出しました。
京都市には管理職以上が加入する「みやこ互助会」という組織があります。管理職が住民訴訟で賠償命令を受けたとき、会員になっていれば、本人に代わってこの互助会が支払ってくれる。そういう互助組織です。
記事によると、他府県の管理職では職員共済会や職員生協などが窓口になって、民間保険会社の「公務員損害賠償保険」に加入しているケースが増えているとのこと。京都市の「みやこ互助会」に比べて、掛け金も小額で、しかも、もしものときの訴訟費用や賠償金額の支払い基準も、みやこ互助会でははっきりしていないことに比べ、保険会社のそれは明朗であること。結局、「みやこ互助会」の実態は、管理職のためのものではなく、もっぱら市長や副市長を守るための組織になっていることを指摘しています。
この記事は同号の中で、最も面白く、読みごたえのある記事だと思います。
ただ、記事の全体の論旨とは関係のないところで、違和感を持たずにはおれない箇所があるのです。記事では、京都市の過去の住民訴訟は、同和行政絡みの事案が多かったことに注目し、その関連でこう述べています。
そして2002年、同和団体等が温泉地で高級宿泊施設などに宿泊し実態のない「学習事業」への同和補助金支出問題が、市民ウォッチャー・京都、議会、多くの市民団体、労働組合の力で断罪された。いわゆる「同和温泉補助金不正支出事件」である。
この事件については、わたしがかつて配信してきたメールマガジンにくり返し書いてきましたので、ご記憶の方もおられると思います。(同和温泉補助金訴訟)
引用した箇所は、一見なんでもないような文章と思われるかもしれません。住民訴訟を含めこの事件の実態解明には、わたしは中心的にかかわってきました。その実感からいうと、「市民ウォッチャー・京都、議会、多くの市民団体、労働組合の力で断罪された」なんてことを、とてもいうことができないのです。
裁判で弁護団を形成し、審理の過程で不正の動かぬ証拠をつかんだのは、市民ウォッチャー・京都の弁護士たちの成果だといえます。また、議会──というより共産党市会議員団というべきでしょう──は早くから同和補助金の支出に疑惑の目を向け、当局を何度か厳しく追及してきた事実もあります。いやむしろ、同党議員団の先駆的な追及を糸口に、わたしや市民ウォッチャーはその後の追及を行い得たというべきかもしれません。
京都市の同和行政の是正といいますか、終結という全般的な運動に、いくつかの市民団体、労働組合が息長く取り組んできた事実は認めます。わたしの取材活動もこの運動に支えられてきたことも自覚しています。しかし、同和補助金における不正の断罪に、「多くの市民団体、労働組合の力」がはたらいていたとは思えないのです。
たしかに、わたしの取材に何人かの市職員が協力してくれました。しかしそれは組合活動の一環というものではなく(非組合員の職員もいたし)、わたしとの個人的な関係でのものでした。京都地裁、大阪高裁で行われた裁判にも、市民団体や労働組合の人が傍聴にやってきて、支援してくれたという覚えもありません。審理が山場を迎える証人尋問のときも含めて、原告側傍聴者は、つねにわたし一人でした。
それで思い出しましたが、大阪高裁で行われた、解放同盟の3支部長に対する証人尋問のとき、解放同盟側の動員部隊が傍聴席を全部埋める中、わたし一人隅っこで小さく背中を丸め座っていなければならなかったときの心細さといったらありませんでしたね。開廷前、大きな声で解放同盟の幹部連中に笑いものにされたし。そう、あのときは実に悔しかったなあ。
いやそれはともかく、逆に、今思えば、わたしが補助金問題で取材を開始した当時の市職労役員の何人かは、同和補助金の支出のでたらめさをある程度つかんでいたふしがあります。もちろん彼らとてつかんでいたのは断片的な事実だけで、全体像やその大掛かりな不正が同和行政にとって何を意味するのかということまでは、自覚していなかっただろうと思います。
京都市の同和補助金問題が、多少なりとも関心を集め、いくつかの市民団体や労働組合が抗議行動に取り組んだのは、不正の全容が解明された後になってのことでした。それとて一過性のもので、訴訟が決着するころには完全にしぼんでいたのではなかったでしょうか。
同和奨学金の返済問題についても同じことが言えます。われわれは長い時間をかけて、制度とそれを運用する京都市の不合理な実態を示す証拠を積み上げ、住民訴訟で勝訴を確定するまで、気の遠くなるような時間と労力をかけてきました。しかし、この裁判に注目する人は、京都市の担当部署職員をのぞけば、きわめてまれでした。
それが2007年9月、京都市の返済肩代わりは違法だとする大阪高裁判決が確定した後になって、若干関心が集まり、翌年1月(京都市長選挙直前)、同問題での第3次訴訟でも京都地裁が違法判決を出すに至って、ようやく市民的な関心を呼ぶようになったに過ぎません。
その点、京都人権連の同和奨学金返済問題での見解は、そのときどきの時流に乗じることはなく一貫しています。見解自体とても賛同できるものではありませんが、その姿勢については、潔さを感じます。
「多くの市民団体、労働組合の力で断罪された」という記事を書いた真野さんは、おそらく古くから京都市の同和行政に疑問を持ってこられたのだろうと思います。そういった思いと、2008年2月の京都市長選挙において、同和行政のゆくえが一大争点になったことから、同和補助金問題においても、多種多様な市民・団体が追及に立ち上がったという新たな「記憶」が生み出されたのではないかと、わたしは推測するのです。
同和補助金問題は、当時、京都市が抱えていた同和行政の問題点をきわめてわかりやすく示してくれるものでした。だがこの問題に、その非が誰の目にも明らかとなる時点に至るまで、ほとんど関心が集まらなかった事実は、意外と重要なのではないかと思います。今も昔も、同和行政や解放運動に不平、疑問を持つ市民は少なくないけど、これを部落問題の解決を阻害する問題として、正面から語られることは少なかった。言い換えれば、行政や運動の批判をときには口にしても、部落問題そのものにはさほど関心を抱かれることはなかったことを、示しているように、わたしは感じています。
京都市職員連合部落問題学習協議会というサークルの中心メンバーとして長年活躍されている小村和義さんが、少し前、こんな発言をされています。
同和行政を争点にしてきた京都市長選挙の歴史があります。選挙のときは盛り上がるのですが、過ぎるとやはり運動する側がしぼんでいったことは否めないと思います、これだけ大きく深刻な問題がなぜ継続できないのか。例えば93年の市長選挙以来、運動する側が継続して取り組んでいれば、もっと違う展開になっていたことは事実だろうと思います。これは京都市が資料を出さないということでは片づけられない問題です。今後も含めてですが、私たちの足下の運動の大切さをつくづく感じています。(『ねっとわーく京都』2009年10月号)
小村さんはそうとは言っていませんが、わたしの言葉で言えば、同和行政の抱える問題点を批判してきたわれわれは、それは単に政争の具として使い回しているに過ぎないのではないか、ということだろうと思います。わたしはこれまで、小村さんからしばしば叱られてきましたが、心にとどめておきたい指摘だと思います。