6 月 17

同和独裁

6月17日、滋賀県の東近江市に行ってきた。市会本会議を傍聴するためだ。

「開発独裁」という言葉がある。国民の権利や生活を犠牲にしても、強権的に経済的達成を最優先する体制のことだ。傍聴していて、開発独裁ならぬ「同和独裁」という言葉が頭に何度も浮かんだ。

あまり知られていないことだが、東近江市は2年前から解放同盟滋賀県連から執拗な批判を受けている。

批判を受けるようになった経緯は次のとおりだ。

2007年8月、一人の東近江市民が、愛荘町という町役場に「○○地区は同和かどうか教えてくれ」という電話をした。愛荘町からの通報を受けた解放同盟は、許し難い部落差別だと叫んで、東近江市行政の責任を追及する。ところが、同市は、電話をした市民に対する度重なる事情聴取を経て、2008年2月、「この人に差別する意図があっての問い合わせとは言えない。差別行為ではない」という趣旨の「見解」を同盟に送りつけた。

なお、「見解」の大要は同市のホームページで公開されている(愛荘町役場への電話による同和地区問い合わせ問題について)。しかし、後述の事情があるので、近く削除される可能性がある。行政としての良識を示した内容だと思っている。何より、運動団体にわあわあ騒がれても、自分たちの調査と分析で、このような結論を導き出したことについては、他の自治体にとっても大きな参考になるのではないか。

当然同盟は納得せず、いろんな集会の場で東近江市を攻撃し続けはじめた。愛荘町や滋賀県は当初から解放同盟に同調、東近江市は孤立無援の中、差別ではないとする「見解」を守り続けた。

ところが今年2月、市長(保守系)は任期を終え引退してしまう。かわりに新市長になったのは「対話でつなごう滋賀の会」(嘉田由紀子・滋賀県知事の支援団体)、民主党らの推薦を受け、解放同盟からも支援を受けた候補者だった。

新市長は3月の市会で、さっそくこれまでの「見解」見直しを示唆、4月の人事異動で、「見解」作成の中心となった職員全員を関係部署から放り出した。

これだけなら、解放同盟の支援を受けている市長なのだから、まあ、予想されることである。わたしが「同和独裁」というのはここからだ。

東近江市には(滋賀県内の他の自治体も同様だが)、人権のまちづくり協議会(人権協)という自治組織の代表者らで構成する官製の啓発団体がある。

同市人権協でも、この1年以上、今回の電話での地区所在地問い合わせ事件について論議を重ねて、市同様、「差別ではない」とする見解に至っていた。そして今年3月末には、5月と9月に講演会を計画、講師依頼も済ませた(講師は、灘本昌久・京都産業大学教授と藤田敬一・元岐阜大学教授)。

ところが今年4月から5月にかけて、市当局は、講演会の主催者である人権協には無断で、講師2人に対しキャンセルの通知をしたのだ。「市の方針と違う見解もつ講師だから」というのがその理由。これにより、5月の講演会は開催できなくなり、9月も別の講師を立てざるを得なくなった。

それだけでなく、役員人事にも介入。市長自ら根回しして、「差別でない」という考えの会長(4年前の東近江市誕生以来の会長で、旧八日市市時代も市人権協副会長を10年近くつとめた)を解任してしまったのだ。

人権協はいくら官製団体とはいえ、独自の会則、活動方針をもつ自主的機関である。市の下部機関ではない。当時の会長はじめ役員らは、われわれはこの問題について時間をかけてこのような見解に至った。市長が別の見解をもつというのなら、また今から論議を続けていけばいいではないか、なぜ話し合いもなく、いきなりこのような行動をとるのか、と主張した。

しかし、市長は問答無用という姿勢だった。論議の継続どころか、今後市人権協として市の方針と違う講師の講演会などを計画しても、市は財政的援助をしないと通告したのである。

この日の本会議では、日本共産党の野田清司議員がこの問題を取り上げた。

市長は今回の電話での問い合わせ事件について、差別行為の何ものでもない。これが差別でないというのなら、どんなことを問い合わせても許されることになると答弁。滋賀県、愛荘町、そして解放同盟県連などと協議をして、前市長時代の「見解」に替わる新たな「見解」を作成すると話した。

人権協の行事をつぶしたり、人事に介入したことについても、事実関係を認めた上で、謝罪するどころか、市の方針と違うのだから当然ではないかとする答弁をくり返した。さらに、無断で講師をキャンセルしたことについては、「事後になったが、人権協にその旨報告して了解してもらっているはずだ」と答えた。

傍聴席には、人権協の役員もつめかけ、わたしの隣には更迭された前会長が座っていた。「われわれがキャンセルについて了解したなんていう事実はない」と怒りで体を震わしていた。

ついでに言うと、前会長はこの問題での質疑が終わると、その足で、市人権啓発課に向かい、担当者に面談を求め、「課ではわれわれが了解したという認識でいるのか」と問いただした。

応対した職員は、市長がそのような答弁をしたことに戸惑っている様子で、了解してもらっているという理解を課としてもしていないと、正直に答えていた。(わたしもその横で聞いていた)。

ルールを無視、対話を拒否、外部団体を踏みつけにして、議会では嘘の答弁をくり返す。これはすべて「同和問題の解決」のためなのだ。というより、解放同盟に、東近江市は「差別行政」をしてきましたと認め、許しを請うためというのが適当かもしれない。

「独裁」という表現を現段階で使うのはまだ早いかもしれないが、東近江市は、前市長時代から一転して、「同和独裁」の道を歩み始めたと感じたのである。

問題となっている、東近江市民による電話での問い合わせ事件については、じつはわたしも少しだけかかわっています。まだまだ興味深い話がありますので、おいおい書いていきます。

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