益井信(ますい・しん)といっても、よっぽどの人でない限りその名を知らないと思います。もちろんわたしも同様。ところが部落史研究において、なかなか興味深い人物のようです。
6月12日、楽只(らくし)コミュニティセンター(京都市北区)で開かれた京都部落問題研究資料センターの「部落史出張講座──地元で学ぶ地元の歴史」に行ってきました。
同講座は3回連続で行われており、この日は2回目。小林丈広さん(京都市歴史資料館)が「歴史家益井信の生涯」と題して講演されました。
益井信は、明治後半から大正時代にかけて京都で眼科医を開業していた人。京都千本部落の名士です。その祖父・元右衛門、父・茂平は部落改善運動家として、地元や研究者の間ではよく知られた人だそうですが、信(自身は井手町の出身で茂平の養子となった)についてはほんとんど言及されることはなかったとのことです。
ところが小林さんによると、部落の起源として、当時かなり流布していたいわゆる「異民族起源説」(部落民の祖先は古代朝鮮あるいは中国からの渡来人だとする説)という俗説(今日においても信じ込んでいる人がいるなあ)に対して、かなり早い時期から批判する論文を書いていたのです。
部落史研究の先駆者といわれる歴史家喜田貞吉が『民族と歴史』という雑誌で異民族起源説批判を行ったのが1919年。ところが益井信はその14年も前に、京都で発行されていた医学雑誌上で批判をはじめていたのです。
信はその後、『明治之光』(大和同志会という融和団体の機関誌。全国水平社設立にも影響を与える)にも同様の論文を発表しています。ただし、その論文は実証的なものでなく、推論のレベルにとどまっているそうで、それらが喜田貞吉ら後の研究者にどのような影響を与えたかは不明だとのことです。
また、益井信は論文発表時、ペンネームを使っていたので、彼が書いたものだとは知られていなかったそうです。また、京都の盲学校に多額の寄付をしていたことも最近になってわかったと話していました。
以上が、小林さんの講演を聴いたわたしのメモ書きです。いわゆる歴史家でもなく祖父・父親(養父)のように部落改善運動家的実績もない一人の目医者が、日本でもっとも早くから異民族起源説批判を行っていたというところにひかれます。
歴史家とは、大学など何らかの機関で研究している人だけをさすのではなく、歴史に興味を持ち、自分で調べ、それを記録に残そうとする人、彼らも同じく歴史家と呼ばれるべきであるいう小林さんの定義も興味深かった。
今日、地元千本地区では、祖父や父親と違って、地元に貢献しなかった信については、冷ややかに見る人が多いそうですが(いやそれよりもその名を知らない人が大半でしょう)、盲学校への援助なども含めて、きっと多様な面をもった人物だったのだろうと想像されます。
6 月 13
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